あすと浪漫座のこだわり

「あすと浪漫座」(サービス付き高齢者向け住宅)は、「建物の外観や庭などはみんなの物である」というイギリス文化の考え方に共感し、ここで生活する方だけでなく、近隣地域の方々にも愛されるような外観イメージといたしました。

また、建物だけでなくご入居されている高齢の皆様と同じような時代に生まれた たくさんの古いアンティーク家具や照明がかざられ、懐かしい安らぎと和みの空間を生みだしました。

ご家族やお友達をお招きしたくなる、気心の知れたホテル暮らしのようなライフスタイルを、ぜひお楽しみください。

オーナーのつぶやき

最新のつぶやき…

2024.0408「あなただけの唯一無二の人生ドラマを写真で綴る」

 あなただけの唯一無二の人生ドラマを写真で綴る!
ー あすと浪漫座のオリジナルPHOTOアルバム ー

 あすと浪漫座では、ご入居される方々にオリジナルの写真アルバムを差し上げている。浪漫座で行われる季節ごとの行事やさまざまなイベントに参加しているお姿、カフェやデイサービス等で楽しく歓談しているシーンをできるだけたくさん写真に収めて、印刷した写真をそれぞれの写真アルバムに差し込んでいく。

入居者は、その中で一番お気に入りの写真のページを表紙にしてお部屋に飾ったり、ご家族が来られた時にアルバムをめくりながら、浪漫座での出来事を楽しそうに話している。



  アルバムと言えば、今でも強烈な印象として記憶していることが2つある。
1つは、昭和52年にテレビ放映されたドラマ「岸辺のアルバム」である。その数年前に起こった多摩川水害により家屋と家族のアルバムを失った被災者の話を題材に脚本化された衝撃のドラマだった。竹脇無我と八千草薫の不倫を中心に平凡な中流家庭の崩壊を描いたホームドラマだったが、ドラマの最終回で、洪水で家を失う家族が必死で持ち出したものがアルバムであった。アルバムに綴られた幸せな家族の記録が何よりも大事な宝物であるという強烈なインパクトを受けたドラマだった。

もう一つは、忘れもしないあの東日本大震災の大津波の後の被災地の惨劇である。瓦礫と化した我が家の跡地を歩きながら、ドロドロになった写真アルバムを見つけて泣きながら抱きしめている姿は心から離れない。



高齢になって、あすと浪漫座に入居される方々の思いはさまざまである。これまでそれぞれの方々の人生にはさまざまなドラマがあり、思い出があり、歴史があったに違いない。そして今、終の棲み処として浪漫座を選んでいただいてご入居された。僕は皆様に「これで私の人生は終わった」と思って欲しくない。ここからまた、自分の唯一無二の人生のドラマが始まると思って、思い切り楽しんでいただきたいと心から願っている。

 そのために、それぞれのオリジナル写真アルバムに、できるだけとびっきりの笑顔の写真を差し込んであげたい、ご家族さえも見たことのないような最高に弾けた笑顔の写真が残せるように、充実した毎日になるような努力を続けていきたいと思っている。

 ご入居したばかりの時には、カメラを向けると表情が硬かったり、やや緊張したお顔が多かった入居者様も、だんだん写真を撮られることに慣れてきて、自然の笑顔がたくさん見られるようになってくるのも不思議な感じである。ちょっとしたモデルさん感覚も芽生えているようにも思える。‟装うことも「心の栄養」”とばかりに、日常生活の中で、ちょっとしたオシャレを楽しむ方が増えてきたのも嬉しいかぎりである。あすと浪漫座のオリジナル写真アルバムは、「記憶に残る最高の自分史」になっていくことだろう。

終の棲み処として選んでいただいた浪漫座で生涯を全うされた方や、様々な事情で浪漫座を退居される方には、お別れのパネルボードを作成してきた。
オリジナル写真アルバムに綴られた浪漫座での写真やデイサービスでの写真を1枚のパネルにたくさん並べて、僕の思い出のコメントを添えて、浪漫座で過ごしてこられた歴史がわかるように作ってご家族様に差し上げている。

先日、90台半ばで安生として尊いご生涯を閉じられたK様のご家族様に‟お別れパネル”を差し上げたところ、長女様より「母の写真と母が書いていた日記を見ていると、母が浪漫座さんで、毎日毎日本当に楽しく過ごしていたんだなということがよくわかりました」と感謝のお言葉をいただいた。

写真一枚一枚の表情に、満足した人生の喜びが溢れている。「私は、今、こうして自分の人生を楽しんでいる」ということをアルバムを通してご家族や皆様に感じていただけることが、僕にとっても幸せなことである。

2023.7.5 「素晴らしき100年の人生に献杯!」

 あすと浪漫座には、90歳を超えられても、なおご自分らしくお元気に過ごされている方がたくさんいます。そんなご高齢の入居者さんにとっても目標となり生き方のお手本とされてきた方が、100歳のお誕生日を迎えたHさんです。実際、100年の人生にはどんな宝物が詰まっているのでしょうか。

 Hさんが生まれたのは、大正11年でした。西暦で言えば1922年です。この年に生まれた著名人と言えば、先ごろ99歳で亡くなられた瀬戸内寂聴さんがいます。その他にも私たちがよく知っている「丹波哲郎」さんや「月丘夢路」さん「加藤治子」さんなどがいらっしゃいます。

長きにわたった明治と昭和の時代に挟まれた大正という時代は、たった15年という短い期間ではありましたが、日本の歴史の中でも画期的で、激動ともいうべき時代であったといえるでしょう。大正デモクラシーの風潮の中で、女性の社会進出が大きな流れとなり、エレベーターガールやモダンガール、バスガールなどの職業婦人が注目され始めたのもこの時代でした。また、大正12年9月1日に相模湾で発生した関東大震災は、東京を中心に関東に大きな被害をもたらしました。

 そんな時代の中で生まれたHさん。福島市で4人の兄弟姉妹の末っ子であり、3姉妹の3女として生まれました。小学校の校長先生をされていた父親の転勤で福島県内の各地を移動し、その後、小学2年生の時に、母の出身地であった仙台に引っ越すことになりました。卒業後、女学校(現在の宮城一女高校)に進学。二人の姉は共に学年で1位2位になるぐらい優秀だったが、「私は姉たちに比べて全然成績も良くなかった」と本人は謙遜しています。「ただ、その時に父が私に言ってくれた言葉に救われた思いがしました。それは『学校の勉強がすべてじゃないよ。お前はお前らしくそのままでいけばいいんだ』と。」
その時のお父さんの言葉を、100歳になっても忘れずに心に刻んできました。



 小学生の後半だったか、母の友人のすすめで、仙台市内の長町に転居することになりました。当時の長町は、市場があり東北ゴムや東北特殊鋼などの工場もあり活気にあふれていました。
女学校を卒業してからは、国家公務員である簡易保険局に入職し定年の60歳になるまですっと勤務してきました。途中、第2次世界大戦があり、出兵した一番上の兄は戦死し、長女と二女の姉たちが嫁いだことにより、Hさんがご両親と同居しながらご両親を支えてきました。20代の後半になって、母親同士がもともと知り合いだったご主人と結婚することとなり、電々公社に努めていたご主人と仲良く、60歳まで働いてきました。

 その後、ご主人を見送り、長町に一人で暮らしながら過ごしてきました。
82歳になって近所に出来たウィングのデイサービスの第1号の利用者様として通っていただき、以来19年にわたりご利用を続けてこられました。
Hさんは、近所にあったセブンイレブンが大好きで、毎日ヘルパーさんにお弁当とヤクルトを買ってきてもらうことがお気に入りの日課でした。また、毎月1回は、簡易保険局時代のお友達とお食事に行ったり、三越にお買物にでかけたり、自分らしい生活を楽しんできました。

90歳を超えるようになり、時々ご病気で入院されることがでてくると、Hさんは、ご自分の今後の生活について考えるようになりました。

平成29年5月に「あすと浪漫座」がオープンすると聞くや、Hさんの決断は素早かったと思います。またもや入居者第1号としてご入居になりました。それからは、浪漫座の最年長者として多くの皆様のお手本となっています。デイサービスや浪漫座のイベントには、何をおいても参加して楽しまれてきましたし、浪漫座の1Fにあるカフェにも毎回お見えになって、お気に入りのアイスティやロールケーキを召し上がっていかれます。そんな積極性や何でも興味をもってやってみようというチャレンジ精神が長生きのエネルギーになっているのかもしれません。



 100歳を迎えたHさんは、こんなふうにおっしゃっていました。「今から考えてみると、何よりも丈夫に生んでくれた両親に感謝です。自分がこんなに長生きするとは思いもしませんでしたが、早く亡くなってしまった兄や姉達の分まで長生きできたと思います。」とおっしゃっていました。

 このまま105歳ぐらいまでは、お元気にカフェにこられて人生を楽しまれていかれるんだろうと思っていましたが、さすがに101歳を目の前にして、食欲が少しずつ減退し、自分で立ち上がるのも大変になってきて、ベッド上で過ごす時間が長くなってきました。それでも私たちがお部屋に伺うと、「あらっ恥ずかしい」と可愛らしく目を覆う姿は今でも忘れられません。

Hさんとのお付き合いは、かれこれ20年になりました。特別に意地を張っているわけでもなく、自分で考え、自分で決めたことはスパッと実行する。あれやこれや人の悪口を言わない。好きなこと楽しみたいことは何にも優先して取り組んでみようとする。自分で決めておこなったことは、たとえうまくいかないことがあったとしても、くよくよしない。自分がお世話になった人の恩は絶対忘れない。この20年間、Hさんのあまりにも潔い生き方に、教わることは多かったと思います。どんな時も気丈だったHさんは、先月安生として100歳の生涯を閉じられました。最期に、ヘルパーさんに「体を起こしてください」と言って、ベッドに端座位になって、ヘルパーさんに背中をさすってもらっている間に、スッと息を引き取りました。こんな見事なご臨終の姿を見たことはありません。これを大往生と言わずしてなんと表現できるでしょうか。

 関東大震災、仙台空襲・大東亜戦争、東日本大震災という大戦争・大災害をはじめ、1世紀にわたり激動の時代を乗り越えてきたHさんの勝利の人生に 高らかに献杯をしたいと思います。Hさん、本当に本当にお疲れ様でした。どうぞ安らかにお休みください。

2023.2.7 「音楽を楽しむ」がウィングのベースライン 

気が付けば、僕は子供の頃からいろいろな音楽に触れてきた。初めて聴いたレコードは、たぶんアイ・ジョージの「硝子のジョニー」だったと思う。太い迫力のある歌声に魅せられて何回もレコードをかけた。そこから橋幸夫の「潮来笠」、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」などなど家にあったたくさんのレコードを次から次へと聴いていった。
少年期で最も衝撃的だった音楽シーンは、10歳の時、家族が寝静まった夜の9時半ごろ、何気なく点けたテレビの画面に映し出されたアメリカの「エドサリバンショー」だった。ビートルズというイギリスの4人バンドが初めてアメリカに上陸した瞬間の演奏だった。いままで聴いてきた日本の音楽とは全く違ったリズムテンポと迫力とエレキギターの音に釘付けになった。そのことがあって以来、僕と音楽のつながりは一段と深いものになっていった。
父親にお願いしてエレキギターを買ってもらい友達とバンドをつくって練習を始めた。エレキでバンドをやるのは不良のすることだと白い目で見られながらも、ビートルズはもちろんのこと、ベンチャーズやグループサウンズ、そして加山雄三らの曲を練習しては演奏していたことが懐かしい。その後、時代の移り変わりとともに日本の音楽シーンもどんどん変化していき、それらに合わせるようにフォークソングや和製ポップスに傾倒していった。
大学を卒業して社会人になると、いつしかバンドをする機会も少なくなり、時折、気が向いたときに手にできるように一本だけフォークギターが家の隅に置かれているだけになっていった。
そんな音楽との関わりを劇的に変えたのが、2011年に起こったあの東日本大震災だった。震度7と言われた3分にも及ぶ激しい揺れは、長町のウィングの本社ビルを大きく揺さぶり、まさに足の踏み場が無いほどめちゃくちゃになった。家具が倒れ、ガラス食器が割れ、床一面に散乱している中に、弦が切れ傷ついたフォークギターが横たわっていた。その姿がなんとも愛おしく思えた。傷ついたボディを磨き、切れた弦を張りなおした時、もう一度歌ってみたいという不思議な衝動が湧いてきた。



本社のある長町は、津波こそ届かなかったものの、揺れによる被害は大きく街は活気を失っていた。近隣には津波で家を失った方のための緊急仮設避難住宅が建てられ約230世帯の方々が入居された。
”わたしの町の介護拠点”というキャッチフレーズで、長町に本社ビルを構えたわが社ウィングは、この町が少しでも元気を取り戻せるようになるためのお手伝いができないものかと考えた末に、”音楽の力で元気を届けよう”ということになり、ウィングのスタッフや音楽仲間の友人と一緒に、地域の皆様のための「頑張ろう宮城!応援コンサート」を毎月1回開催することとした。本社ビル3Fにあるデイサービスのフロアで、私たちが結成したビンテージ倶楽部バンドを始め、多方面の音楽ジャンルのミュージシャンに協力していただいて、毎月開催したコンサートには、近隣の皆様や仮設住宅にお住いの方々に多数おいでいただき、「涙がでるほどうれしかった」といわれる程の大きな反響をいただいた。音楽の力、歌の力はかくも偉大なりということを改めて実感した。ウィングは音楽を楽しむ会社であるというベースラインがはっきり出来上がったのが、この時だったと思われる。



 その後、名取市の那智が丘団地の高台に建設したデイサービス「星のギャラリー うさぎ座」にもグランドピアノを常設し、近隣の団地に住んでいる方々をご招待しての「うさぎ座ライブ」を定期的に開催していった。仙台のきらめく夜景を見下ろしての音楽コンサートは、星のギャラリーの名にふさわしい夢のような空間となった。



 平成29年5月にオープンした「あすと浪漫座」でも、”音楽を楽しむ”ウィングの思いは貫かれている。クラシック、シャンソン、フォーク、演歌などなど、いろいろなジャンルのアーティストをお迎えしての浪漫座ライブは、入居者様のみならずご家族様や近隣の皆様が楽しめるオープンな音楽イベントとして毎回皆様のお楽しみとなってきた。また、入居者のどんなリクエストにもその場でお応えして即興で聴かせてくれるピアノリサイタルは、コロナ禍であっても安心して入居者が楽しめる音楽イベントして、オープン以来毎月かかさず開催されている。そのピアノリサイタルは現在はさらに進化して、昨年夏にリニューアルオープンしたお洒落なカフェの中で「ピアノカフェ」として皆様のリクエストにお応えして今月も魅惑のピアノ演奏をお届けしている。
浪漫座の入居者様が、コーヒーを飲みながらリラックスした様子で、微笑みながらピアノの音色に聴き入る姿を見る度に、改めて音楽に触れることの素晴らしさを痛感させられる。
そして毎回こんな素敵な企画を運営してくれているスタッフに感謝の気持ちが込み上げる。



 音楽に包まれて生活できる幸せは格別である。音楽から得られる歓びを感じたことがない人はいるのだろうか。音楽にはいろいろな人をつなぐ力がある。
音楽という共通言語があるだけで、人は年齢や性別そして国籍さえも超えて仲良くなれる。まさに音楽は魔法である。
今や音楽の効果は多くの研究機関によって科学的に裏付けされるようになってきている。音楽によって生活の質が変わることもよく知られているところである。その一つに、音楽で気分を盛り上げることができる。明日からまた頑張ろうという気持ちを持てるようになる。二つ目には、音楽で心身を癒すことができる。好きな音楽が流れていれば、つらい運動にも絶えて頑張ることができるし、運動後にゆったりしたテンポの曲を聴くと心拍数を落ち着かせることができる。そして三つ目には音楽で気持ちを落ち着かせる効果があるということ。
ストレスや不安を解消させ、体をリラックスさせることができ、穏やかな睡眠を促すことができる。音楽の力は、計り知れない。
あすと浪漫座をはじめ、ウィングの事業所のどこでもBGMの音楽が流れている。これからもウィングは音楽を楽しみながら、皆様の人生を更に豊かなものにしていきたい。

2023.1.6 「うさぎ」の由来と精神の継承

わが社の各事業所の名前には「うさぎ」という言葉が多く使われている。
「月うさぎ」「うさぎ座」「夢うさぎ」というようにデイサービスの名前になっている。単に「うさぎ」の可愛らしさを好んでネーミングしたわけではない。



介護サービスの仕事を専らにしているウィングは、介護保険制度がスタートした平成12年(2000年)に設立された。それまでの在宅介護は、措置制度という公的な福祉サービスに該当する方々に対する一部の行政のサービスを除いては、主に民間の業者が担っていた。中でも大きな役割を果たしてきたのは家政婦紹介所から派遣紹介される家政婦さん達であった。今ではテレビドラマでよく見られるようになった家政婦さんは、在宅での家事援助や身体介護、ベビーシッターなどそれぞれのご家庭のニーズに応じて、広範囲に困っている方々のサポートをしてきた。そうした在宅介護の他にも病院に入院されている方の付き添い介護も行ってきた。その意味では、家政婦さんは地域の皆様の生活を支えるオールラウンドプレーヤーだとも言えるのかもしれない。

今から約60年程前、まだまだ女性が社会に進出していくことが当たり前ではない時代に、女性としての使命を全うしたい、女性として自立した生き方をしたいと願った母は、家政婦さんを紹介派遣する家政婦紹介所(現・ケアサポートみやぎ)を立ち上げた。その時から35年間、数えきれない程の家政婦さん達を育成し介護現場に送り続けてきた。入院の付き添い介護や在宅での介護に疲れ切ったご家族にとって、そうした家政婦さん達は、ある意味では救世主とも言えた。仕事に人生のすべてを捧げ、女手一つで子供を育てた母は、24年前に71歳の若さでこの世を去った。介護保険制度がスタートする前年のことだった。旅立つ直前に私達に言い残した言葉が「私は真心から介護の仕事をしてきた」であった。正直に言って、母の毎日毎日を見ながら、この仕事の苦労と大変さを骨身に刻んできた私達は、会長であった母亡き後、この事業所の継承を断念するつもりでいた。それ故に、母の最期の言葉は衝撃的だった。その翌年、介護保険制度の開始と同時に、私達は訪問介護事業所としてのウィングを設立したのである。

今私達は、あの時の母の言葉の意味と重さ、そしてその難しさを実感している。母の跡を引き継いでこの仕事に従事して、壁にぶちあたる度に、会長(母)の「真心」という言葉を思い出す。人に尽くし、人と真心から接してきた会長の人生は本当に尊いものだったと実感する。そして自分の一生を懸け、その心を継承していきたいと思っている。
そんな思いもあって、うさぎ年生まれであった会長の心を後に続くであろう多くのスタッフ達に知ってもらうために、できるだけ多くの事業所の名前に「うさぎ」の名前をつけることにしたのである。

今から10年前、ケアサポートみやぎが50周年を迎えようとした時に、信頼するスタッフ達が50年の歴史をまとめ、DVDに作り上げてくれた。それはそれは感動的な歴史の記録となっている。そして私たちの宝物となっている。人生の歴史を記録として残すことの大切さをかみしめた。



現在、私たちは「あすと浪漫座」の入居者様お一人お一人に、浪漫座入居と同時にアルバムをプレゼントし、入居されてからの記録をスタッフが写真に残し、そのアルバムに綴っていくという作業を全スタッフで協力して行っている。お一人お一人が浪漫座に入居されてからの楽しい時間、イベントやカフェでの笑顔、お正月の様子等々、「あの時はこうだったね」「若かったなあ」「生き生きしてるね」「年とったな」「楽しかったー」と、アルバムを開きながら私達と一緒につぶやく。アルバムの1ページ1ページを嬉しそうに開いていく、ささやかな事かもしれないが、そうした笑顔のために真心を注いでいきたい。今の世の中では、よく終活と言われるが、浪漫座のアルバムは、お一人お一人の人生の最終章にふさわしい、黄金の足跡を刻む宝物になって欲しいと願っている。

2022.11.25 バラの庭園づくり


アンティーク家具に魅せられて、アンティークの本場イギリスに興味を持ち始めてから、いつしかイギリス人がこよなく愛しているバラの花にも関心を持つようになってきた。
バラには紀元前にまで遡るといわれる古い歴史がある。遥か昔から、バラはその見た目の美しさや優雅な気品のある香りで多くの人々を癒してきた。

令和4年7月から、念願だったあすと浪漫座の入居者様のためのビンテージカフェを再開することができた。それにあわせて全く手つかずになっていたカフェの庭園を整備することにした。長引くコロナ禍により、やむをえず自由な外出ができにくい入居者様の憩いの空間となればと思い開設したカフェは、毎回予想以上の賑わいをみせている。そのカフェからテラスに出て庭のお花を鑑賞する。季節ごとに咲くさまざまな花の香りを乗せた風が心地よい。

庭や草花のある生活は、認知症の予防に効果があると新聞やテレビでよく見聞きする。目で見て美しいと感じること、鼻で草花の香りを嗅ぐこと、耳で鳥のさえずりや外のにぎわいを感ずること、手で花びらや葉や土に触れること。そして「きれいだね」と口々に語り合う。そういった五感が脳を刺激し認知症の予防につながるというのはもっともだと思う。

高齢の入居者様は、男女を問わずお花好きの方が多い。とりわけ見た目の美しいバラの色彩と香りは別格である。そんなことから、カフェの庭園のあちこちに種類の違うバラを植え始めた。バラの栽培は難しいと言われていたので、バラ屋さんに行って話を聞いたり、バラの本を何冊も買って勉強したり、youtubeで育て方を学んだりして少しずつバラの世界にはまっていった。

知れば知るほどバラは奥が深かった。まずはその種類の多さには驚きである。世界には数万種類のバラの品種があると言われるが、毎年1000を超える新種が誕生しては、その大部分は淘汰されていくと言われている。それぞれの名前を覚えることは至難である。ましてや、それぞれの種類に応じた育て方をマスターしていくことはもっと至難である。剪定の仕方やタイミング、肥料のこと、日当たりと風通し、害虫や病気の駆除などなど気の遠くなるような知識を習得しなければ上手に育てることは出来ないようにも思える。

それでも、不思議にバラの魅力に惹かれていく。カフェの庭を「ローズガーデン」にしようと決意した。何回失敗しても、失敗から学んで、いつしか庭いっぱいに赤・白・黄色・ピンク・緑の色とりどりのバラの花が咲き誇る素敵なローズガーデンになるように頑張っていきたい。

ついでに、バラの香りの効果についての興味深い研究を紹介しておきたい。ドイツのある大学の研究チームが科学誌「サイエンス」に発表した研究報告によると「74人の学生を対象に、トランプの神経衰弱を行い、一部の学生だけにバラの香りを嗅がせることで、記憶力への影響を調べる」というもの。結論から言うと、前日の夜、深く眠っている間にバラの香りを嗅いだ学生グループのゲームの正解率は97.2%で、嗅がなかったグループの86%を大きく上回ったよう。MRI装置で検査すると、バラの香りを嗅いだ学生の脳では記憶をつかさどる海馬部分が活発になっていたことが明らかになったようだ。

ともあれ、入居されている皆様には、カフェやローズガーデンでリラックスした素敵な時間を過ごしていただき、コロナ禍であっても楽しい日々を送っていただきたいと願っている。

2022.0913 咲き薫れ、ギー・サヴォ ア!

 今からちょうど20年前の平成14年6月11日、知り合いのケアマネージャーさんから「一人暮らしのご婦人がいて、生活が大変そうなので一緒に様子を見に行ってほしい」と言われて、その方のご自宅にうかがった。Mさん、当時64歳だった。大きなお寺の敷地内にある棟割り長屋にお一人で住んでいた。

 第一印象は今でも鮮明に思い出すことができるほど強烈だった。照明を点けていない真っ暗なお部屋、外に面した引き戸のガラス窓にも新聞紙を貼った上に厚手のカーテンが閉めてあって、お部屋に上がって目が慣れない内は様子がよくわからない程だった。テーブルのあるお部屋の椅子に座っていたMさんは、白髪で色白でほっそりしていて、ほとんど目をつぶっていて、事前にうかがっていた年齢よりははるかに高齢に見えた。話をする中でわかってきたことは、Mさんはいつ頃からか、光と音には極めて敏感で苦手になってきたということと、お話の内容は極めてクリアで、時折笑うとおちゃめでユーモアのある人だなということだった。それからは僕が担当ケアマネージャーとなり、当社のヘルパーさんが日常のお手伝いをしながら少しずつ少しずつ生活リズムを整えていった。

最も苦労したのは、音に対する異常なまでの過敏性。お寺の境内の敷地に住んでいるので、夏には境内での盆踊りがあり、大みそかには恒例の除夜の鐘が鳴り響く。Mさんには到底耐えられない騒音である。それ以外にも近隣での道路工事のお知らせ文書が入ると、決まってMさんの大移動が始まる。騒音がなくて一時的に寝泊りができる宿泊施設を探して、泊り込みのヘルパーさんとともに避難生活をすることになる。光がまぶしすぎて目が開けられないMさんは、慣れていない宿泊施設では勝手がわからないので、すべてヘルパーさんまかせ。でも、そのヘルパーさんの使うトイレの水を流す音さえも耐えられず、やむなくヘルパーさんは近所のコンビニのトイレを借りていたりした。

そんなMさんは、僕によくお手紙をくれた。ヘルパーさんにお世話になっていることへの感謝や、時々耳にする世の中の悪いニュースに対して心を痛めているので、少しでもいい世の中になるように頑張って欲しいというような内容が多かったように思う。Mさんとの手紙のやりとりは、まるで昔の学生時代の文通のようだった。
その後、お寺さんの借家が取り壊されることになって、やむなく引越しをしなければならなくなった時には、その移転先を探すのに本当に苦労した。探し回って、ようやく通常の高齢者施設での共同生活が難しいMさんを受け入れてくれるアパートを見つけることができた。新しい住まいでの生活の中で、Mさんは更に進化をしていった。何十年ぶりになるのか、自宅のお風呂で入浴ができるようになったり、歯医者さんに通って、入れ歯の治療にも耐えられるようにもなった。

その一方で、徐々に年齢を重ねていくMさんを在宅で支えていくことが本当に大変になっていった。適応障害によるこだわりは強く、パンと牛乳しか口にしないし、あいかわらずテレビや電話の音には過敏で苦手。不安なことがあると本社に電話をよこすだけでは足りずに、アパートの隣人にも助けを求めることが頻繁になってきて、アパートの大家さんからはしきりに何とか転居して欲しいと懇願されるようになった。Mさんが通常の高齢者施設に入所して他の皆さんと共同生活することは、いろいろな観点からみてもとても不可能に近いことだということはわかっていた。このままではMさんを生涯にわたって支えることはできない。

そうした悩みの果てに、Mさんのありのままの姿で、Mさんらしい暮らしを尊重できる体制とサービスを兼ね備えた高齢者の住宅を自分で立てればいいんだと考えるようになった。サービス付き高齢者向け住宅「あすと浪漫座」を建設することにした第1の理由がここにある。



  Mさんは、袴(はかま)職人をされていたご両親の大事な一人娘さんだった。ご両親亡き後は生涯独身を貫いて一人慎ましやかに生きた。そういう意味では天涯孤独だった。どのような過去世の因縁か、20年前に巡り合ったご縁から、Mさんはウィングの僕を頼って人生を歩んでいこうと思われたのだろうか。そうであれば、最後までおつきあいをしていくことにしようと僕は僕で勝手に心に決めていた。

 平成29年5月、あすと浪漫座のオープンと同時に入居されたMさん。日差しを避けるために大きなつばのある帽子を被って、車椅子に乗って入館。「心が不安になるので3階以上には住めません」と頑なに主張してきたMさんの為に2階のお部屋を用意した。あのMさんがどんな風に浪漫座での生活になじんでくれるのか、喜んでくれるのか、期待と不安が入り混じった思いだった。

衝撃のドラマが起こったのは、Mさんが入居してわずか3日後のこと。下半身が弱くなっているので車椅子は手放せないだろうと思っていたMさんが、歩行器を使って4階のレストランに歩いて登場したのだ。それも窓の光が燦燦と差し込み、大きなシャンデリアが輝く4階の展望レストランに現れたのだ。あんなにまぶしい光が苦手で、3階以上には絶対行かないと拒否していたMさんが、4階の大きな窓から見える新幹線を見つけては「あーっ新幹線!」と言って嬉しそうに笑ったのである。そこからはもうみんなの人気者になった。朝昼夕のレストランでは皆さんに声をかけられ、いろいろな入居者さんと会話をするのも楽しみのひとつになっていった。また、もともと音楽が大好きだったMさんは毎月開催される浪漫座の音楽イベントに参加をされ、自分が知っている歌が流れるといつも大きな声で歌っていた。

 浪漫座に入居されてから、どういう理由か、Mさんは僕のことを「校長先生」と呼ぶようになった。ベッドサイドにあるナースコールの操作の仕方を覚えると、頻繁に「あのー、Mと申しますが、校長先生は今日はいらっいますでしょうか」とのコールをくれた。毎回たわいもない内容のコールだったが、浪漫座に来て毎日‟校長先生”に会えることを一番の楽しみにしてくれているMさんはとても愛おしく思えた。そして、天涯孤独だったMさんにとって、僕やウィングのスタッフが、何よりもかけがえのない家族だったのだろう。

浪漫座に来て、驚くほど元気を取り戻し、いくつかの苦手を克服していったMさんは、もう不思議な変わり者のお年寄りではなくなっていて、上品な穏やかなご婦人になっていた。Mさんを知る入居者様やスタッフ誰もがそんなMさんのことが大好きだった。
しかし、浪漫座に入居して5年が経ち、さすがにその体力は少しずつ衰えていった。ベッドから体を起き上げることも大変になり、だんだん食事も喉を通ることが難しくなっていった。それでも、食べたい物や会いたい人ははっきりと主張していた。「パンが食べたい」「桃が食べたい」「校長先生に会いたい」と。
Mさんが望むものであれば何でも叶えてあげようと思った。僕や専務がお部屋に会いにいく度に本当に素晴らしい笑顔で迎えてくれた。

本当はもう一度元気になって、ビンテージカフェにも招待したかったし、バラのお庭も見てもらいたかった。そんな時、思いついたことが、カフェのお庭にMさんのバラを植えてあげようということでした。それもMさんがよく歌っていた「バラが咲いた」に出てくる真っ赤なバラにしようと思った。
Mさんにそのことをお話したところ、本当に喜んでいただき、「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と言ってくださったので、早速、僕と専務とでバラ屋さんに行って、Mさんにピッタリの真っ赤なバラを見つけた。
その名は「ギー・サヴォア」(パリの三ツ星レストランのシェフの名前だそうだ)。すぐにそのバラの写真を撮り拡大印刷して、Mさんにお見せした。

 



「ワー」と感激の声。「これが9月にカフェのお庭に植えるMさんのバラですよ。1年に4回も咲くんだって。毎日水をあげて、花が咲いたら、お世話になった人達にそのバラをプレゼントしましょう」との専務の言葉に大きく頷き、涙を流して喜んでくれました。Mさんのそばで、大勢のスタッフが「バラが咲いた~バラが咲いた~」の歌を何度も何度も歌った。「うるさいかな?」と聞くと「みんなの声が聞けたー」ととても喜んでくれた。

  それから3日程して、Mさんは安生として85歳の天寿を全うされた。気品にあふれ、穏やかな立派な最期だった。約束どおり9月に入り、カフェのお庭にMさんのバラを植えた。Mさんの大好きだった深紅のバラが、Mさんのように優しく気高い香りを漂わせてくれることだろう。

20年間、お付き合いいただき本当にありがとうございました。Mさんにとって大事な人生の後半生を共に生きられたことは、僕にとってかけがえのない想い出となった。永遠にMさんのバラが咲き薫るように大事に大事に育てていきます。Mさん、これからもバラとともにウィングのスタッフと浪漫座をあたたかく優しく見守り続けていただきたい。

【カフェのある風景】2022.08.25

どういう訳か今や巷では相当なカフェブームである。おそらくスマートフォンとSNSの普及が大きく影響しているかもしれない。〝昭和レトロ”を求めて、純喫茶や街カフェ巡りを楽しんでいる若い女性も増えているようだ。「可愛い!」「見た目がオシャレッ!」と感じた物をその瞬間にカメラに収めて世の中に発信するという魔法のような芸当がブームに拍車をかけている。

 僕が高齢者住宅を建てようとした動機はいくつかある。年齢を重ねるという事は実に大変なことである。体力の衰え、予期せぬ病気との戦い、配偶者やご家族との関係の変化、災害や事故等々いろいろなことに直面し一つ一つ乗り越えていかなければならないのが高齢期を迎えたわれわれの人生なのだとつくづく思う。そうした方々をサポートしたいという思いに加えて、むしろ今まで以上に人生を楽しめる住まいを提供することは出来ないものかと考えるようになった。高齢者にはアンティークがよく似合う。

 高齢者住宅のアンティーク家具の買い付けのために渡ったイギリスの街々で目にした光景で最も印象に残ったことは、おしゃれなカフェのテラスでコーヒーを楽しむ高齢者の笑顔だった。何の話をしているのか、とにかく微笑ましかった。この時から,入居者とその家族さらには地域の方々が楽しく語り合えるカフェのある高齢者住宅を建てようと決めた。2015年のことである。









2017年、ブリティッシュな建物の一角に、赤いオーニングテントが際立つ、それはそれはオシャレなアンティーク調のカフェが出来上がった。その名は「ビンテージカフェ」。東日本大震災以降、被災された方々に音楽の力で元気を届けたいとの思いで結成した「ビンテージ倶楽部バンド」にちなんで僕がネーミングした。
イギリスで買い付けたアンティークの家具や小物で一段とおしゃれに内装を施した上に、高齢者に優しいバリアフリー設計や緊急通報装置の設置など各所に思いを巡らせた自慢のカフェとなった。
しかしながらオープンして5年間は、店舗を賃貸借してしまったことにより、僕らの想いをいくら伝えてもその想いが届くことはなく、僕が思い描いていた"高齢者の笑顔が溢れるカフェ”とは程遠いカフェ運営になっていった。事件の詳細は割愛するが、その間の僕やスタッフの心労は一言では言い尽くせない程であった。2022年の7月、ようやく僕らが当初から願ってきた高齢者を笑顔にする本来の「ビンテージカフェ」として再スタートを切ることができた。車椅子や歩行器を使わなければ移動できない方やご自分の意志を上手に伝えられない高齢者でもスタッフのサポートを受けながらカフェを楽しむことができるようになった。
想定以上にカフェの力は大きかった。野ざらしになっていたカフェの庭をバラ園にして、四季の変化を感じてもらえるようなテラスをつくると、庭に出て花を鑑賞し、風の心地よさや土の香りを感じる喜びを体一杯に表現されている姿は本当に驚くばかりである。さらに本格的なコーヒーの味を堪能する人、若い時代によく飲んでいたクリームソーダを本当に懐かしそうに手にしている方たちの笑顔は格別だ。「この年齢(とし)になってこんな経験ができるなんて夢のようだね」「かき氷は、練乳入りのブルーハワイをちょうだい!」「この紅茶ポットかわいいっ!」「こういう厚切りのトーストが食べたかったのよー」などなど、週2回のカフェの日はまるで高校生の集まりのような賑わいである。



日常の生活の中では会話のチャンスの少なかった他の入居者さんともカフェのなかで親しく交流を深めることもできている。コロナ禍の中で、外出もままならない入居者様にとって本当にオアシスのようなカフェになっている。まさに7年前に夢見た光景がようやく現実のものになったように思えた。

今後、このカフェを舞台にしたどんなドラマが展開されていくのか、ワクワクしながら入居者様の輝かしい人生を心から応援していきたい。
絵画に囲まれた暮らし
    ~ アートに触れることのパワー ~ 2021.11.22

イギリスの貴族と言われる人達の、お城のような住宅を見学する機会があった。豪華なシャンデリアや見事な彫刻が施された暖炉のマントルピー スなど目を奪われる室内インテリアの中に、必ずと言っていいくらいに立派な絵画があちこちに飾られているのが印象的だった。日本人よりも海外 の人達の方が、絵画のある暮らしは日常を豊かにしてくれることを知っているのかもしれない。

イギリス風の建物をイメージして建てた「あすと浪漫座」の館内には、アンティーク家具や照明、年代物の陶器類や飾り物と一緒に、数々の絵画が飾られている。そのほとんどはポスター等ではなく油絵の原画である。そうした絵画は、季節に合わせて時折掛け替えられている。ギャラリーのような雰囲気を楽しめるのも浪漫座の魅力の一つである。

絵画のある暮らしで人の生活は変わるのか、入居された高齢者の生活にどういう影響をもたらすのか興味は尽きない。

影響の第1は”癒し”。気に入った絵を購入して飾ってみる。あるいは飾られている数ある絵の中で自分のお気に入りの一点を見つける。その絵の前に立つと特別な感覚が湧き上がってくる。自分の好きな絵であればあるほど心を安らげるリラックス効果があるという。

影響の第2に挙げたいのは、心に響く”波動”である。ポスターと違う原画の魅力の一つは、心が動くということかもしれない。絵の具の色彩やボリューム、繊細な筆使いや大胆な構図の中に込められたアーティストの喜び、悲しみ、怒り、愛情、美しさ等が波動となって心を揺さぶってくる。そうした優しい刺激を浴びながら毎日を重ねてゆく豊かさを感じて欲しいと思う。

19世紀のイギリスの思想家でもあるウィリアム・モリスは「役に立たないものや、美しいとは思わないものを家においてはならない」と言った。自身の中に美しい心を育むには、美しいものに接する機会をできるだけ増やせばいい。

以前にあるテレビ番組で、アートの力で医療や介護を変えていこうという取り組みを紹介していた。アートの力で鎮痛剤を減少させたり、入院日数を減らしたり、ストレスを軽減させたりする試みがなされていた。

「病は気から」昔から言われてきた言葉ではあるが、今更ながらその重みを感じる。浪漫座の入居者様には絵画に囲まれた暮らしの中で、一段と生きる力を増していってもらいたい。

【素晴らしきアンティーク照明の世界】2021.9.3

あすと浪漫座には、たくさんのアンティーク家具とともに多くのアンティーク照明があります。そのほとんどがオレンジ色の温かい光を放っていて、私たちに何とも言えない安らぎを与えてくれています。
一言にアンティーク照明と言ってもシャンデリア、ペンダント、ブラケット、テーブルランプ等々種類はさまざまですが、今回はその中でもデザインも豊富でたくさんの種類があるテーブルランプについてお話したいと思います。

ランプは、単にお部屋を明るくするための道具としての役割を持つだけではなく、時に空間に安らぎを与え、穏やかなひと時を演出してくれます。
特に100年以上の歴史を超えて今の時代に残っている芸術品とも言える有名な作者のランプはやはり惹かれます。アール・ヌーヴォーやアール・デコの時代に製作されたエミール・ガレやドーム兄弟、そしてルネラリックやミューラー兄弟のガラスランプ等、高価ではありますが本物の持つ深い味わいを放つランプには人の心の奥に眠る優しさや郷愁を引き出してくれる力があります。

さすがに浪漫座にはそんな高価なランプばかりを飾ってあるわけではありませんが、西洋の人達がその昔暖炉の上に飾ったり、書斎のデスクに置いて読書したりしたそのランプの灯をそのまま感じながら生活してほしいという思いから、あちこちにお洒落で珍しい形のランプを置きました。

例えば、エントランスの受付にあるのが、バンカーズランプです。映画やドラマのワンシーンでよく出てくる緑色のセードの卓上ランプです。昔、銀行などで手元の細かい作業を照らす時に用いられていたようで、緑色が多いのは、長時間見続けていても目に優しい光を放つからだそうです。

提灯や行燈(あんどん)の灯りを日常の生活の中で楽しんだ日本の私たちだからこそ、西洋の明かりに癒されて日々を過ごしてみるのもいいですね。

【暖炉型ペレットストーブ】2020.12.10

イギリス風の高齢者住宅を建てようと思った時に、真っ先に頭に浮かんだのが”暖炉のある生活”でした。

オレンジ色のゆらゆらした炎の周りでロッキングチェアに揺られながら読書をする。傍らにはコーヒーを置いて。そんな風景が、僕の中にあるヨーロッパ的生活なのかもしれない。

イギリスの家々にはたいがい暖炉があり、その暖炉の数だけ屋根の上に煙突が並んでいる。レンガ造りで、薪を燃やす本格的な暖炉が理想ではあるが、一番の難点は火の管理とメンテナンスである。薪を使った暖炉の火は、基本的には火種を消すことなく薪を継ぎ足しながら燃やし続けていく。火災のリスクを考えれば夜には一度完全に消火して、翌日にまた火をおこすという作業が必要になるが、実はこれが大変な労力となる。

更に、薪が燃焼して出るススは想像以上に多量で、煙突のみならず部屋の中まで煤けてしまい頻繁なメンテナンスが必要になる。

そんな事からたどり着いたストーブが、浪漫座で採用した暖炉型のペレットストーブである。ペレットとは、森林の間伐材や端材などを細粉して、圧力をかけて5cmほどの長さの円筒状にした木質燃料のことをいう。環境にやさしく、着火性に優れている上、短時間での消火ができて燃焼ススが少ないというメリットがある。

浪漫座4Fにある暖炉ラウンジには、たくさんの貸し出し蔵書も並んでいて、冬にはペレットストーブの揺れる炎を見ながら読書をしている入居者を見ると、ヨーロッパ貴族のような暖炉のある生活を心より楽しんでいただけていると思い、とても幸せな気持ちになる。

【海水魚のこと】2020.12.10

今年の11月、あすと浪漫座2Fのスイートサロンに150cmの大きなアクアリウム(観賞魚用の水槽)を設置した。想定以上に入居者様からの反響が大きく嬉しい限りである。

なんだかんだ言って観賞魚飼育の歴史は30年以上になる。ほとんどが熱帯魚だったが、今回念願の海水魚飼育に挑戦してみることにした。観賞魚には大きく分けて、熱帯魚、淡水魚、海水魚の3つがある。

まず最初が熱帯魚。文字通り暖かい地域に生息している魚のことで、淡水に生息している魚をさすことが多い。アマゾン川をはじめとした海外の水温が高い川や湖に生息する魚で、ネオンテトラ、エンゼルフィッシュ、ディスカスなどよく知られる魚が多く、飼育もしやすく初心者向けでもある。

次に淡水魚。川や池などの真水で生息している魚で、最もポピュラーな金魚やコイ、フナなどで比較的価格も安く飼育しやすいのが特徴。

最後の海水魚は、その名の通り海水の中で生息している魚たちのことをいい、熱帯魚や淡水魚と比較して飼育は難しいと言われている。その理由の一つは、ろ過バクテリアや微生物が大量に必要であること、そしてもう一つの理由は多量の酸素が必要であるにもかかわらず、海水の性質上酸素が溶けにくくなっていることにある。

熱帯魚や淡水魚の糞よりも毒性が強い海水魚の糞は、安全な物質へと変える際に、多くのろ過バクテリアや微生物を必要とする。これらをクリアするために水槽の下に大きなろ過装置と機械を設置して魚たちが生息しやすい環境をつくることにした。

準備万端整えて、いよいよ海水魚投入。新しい環境に比較的順応力のあるデバススメダイ15匹が元気に泳いだ。その後、水質の安定を見ながら、1週間毎に第2弾カクレクマノミ、第3弾マンジュウイシモチなど徐々に中型フィッシュを入れてゆく。新しい海水魚が登場するたびに、その動きを楽しそうに観察する入居者様。

やはり動きのある生き物にはことのほか関心が深い。主役級のヤッコ、キイロハギなどがキビキビ泳ぎ回る様子をじっと見つめている瞳の奥に、気持ちよく自由に動き回りたいという自らの願望が秘められているのかもしれない。

【Withコロナ時代でも浪漫座らしく!】2020.06.18

今年に入って、誰もが予想も想像もしなかった新型コロナウィルスの襲来に、驚かされ、とまどい、恐れおののき、ふりまわされ、日本だけではなく世界中がどうなってしまうのか本当に心配だった。

東日本大震災やその後に起こった数々の天災を経験し、それでも逞しく乗り越えてきた私たちの自信さえも揺るがしてしまうような未知なる恐怖である。

高齢の利用者様・入居者様の命を守る、そしてそういう方々を体当たりでお世話している介護のスタッフの命を守ることが何よりも大事である。

そのための最善の防御策がマスク・消毒・ソーシャルディスタンスであり、他人との接触を出来る限り遮断する外出と面会制限という自粛だった。

毎月のように開催される館内の音楽イベントを楽しみ、おしゃれなレストランでは会話がはずみ、足湯やカラオケ会など充実した日々を過ごされていた入居者様のお楽しみのほとんどが制限されてしまったのは浪漫座としては仕方がないとは言え、痛恨の極みである。

コロナに関して入居者様の健康と安全を守りながらも、生活に喜びと楽しみを持ってほしいという浪漫座の戦いが始まっている。この新型コロナウィルスは短期間では終息はしない。人類が乗り越えたと胸を張って宣言できる時は数年先だろうとも言われている。だから今私たちは、このコロナとは賢く恐れ、上手に付き合っていくという”Withコロナ”の時代に突入したと思わなければならない。

浪漫座では、6月から1Fロビーラウンジを模様替えして、ソーシャルディスタンスに配慮したお楽しみラウンジを開設した。映画の上映会や音楽ライブ映像の試写会、小さなもの作り教室、読書など当初の想定以上に皆様には好評で、工夫次第で楽しめることはいくらでもあるんだという発見もあった。


美空ひばりの「不死鳥ライブ」
を鑑賞 

ビンテージ倶楽部バンドの
練習風景を見学

カラフルな小箱作りに夢中になる

若い時代に磨いた手先の
器用さは今でも健在

誰もが憧れる素敵なシニアライフ、そんな過ごし方を望んで浪漫座にご入居された皆様に、どんな時代になってもご満足いただけるよう、いつも”浪漫座らしく”を忘れずに取り組んでいきたい。

【浪漫座はバラがお似合い‼】2019.07.26

あすと浪漫座の玄関エントランスには、毎週土曜日になるとバラを中心にしたアレンジメントフラワーが飾られる。ウィング本社ビルの道向かいにあるバラ専門のフラワーショップ「ローズ・ストーリー」さんが毎週とても素敵にアレンジして飾ってくれている。
ブリティッシュ館なので館内のあちらこちらにバラのアートフラワーが置かれているが、やっぱり生の薔薇の威力は特別だ。訪れるお客様の誰もの目を惹きつけている。

イギリスの国花は赤いバラ。この由来は世界史上でも有名な「バラ戦争」にある。15世紀に白バラをシンボルとするヨーク家と赤バラをシンボルとするランカスター家が王位継承をめぐって激しい戦いを繰り広げ、戦いの結果ランカスター家が勝利したので赤いバラが国花になったようだ。

ともあれイギリス人は昔からガーデニング好き。イギリスのどこの町を訪れても家々の窓辺やお庭にはいつもたくさんのバラや花が植えられていて、観光客にも楽しませてくれる。中でもエレガントな見た目が特徴のイングリッシュ・ローズはたくさんの人に愛され、今では200種類以上が誕生するなど、世界中で愛されている。

あすと浪漫座は、美しいバラの色彩と薔薇の香りで心から皆様をおもてなししていきたい。

【禅語「露堂々」】2019.03.20

あすと浪漫座では、時季に合わせて「茶道の会」を企画している。
高齢者住宅であっても折々に様々な催し物に触れて心を動かしていただきたいと願っている。「茶道の会」もその一つ。特別に茶の湯の流儀や形式にこだわることなく、どなたにでも抹茶を楽しんでいただくことを主眼にしている。

先日「茶道の会」に参加された方から、風炉先屏風を寄贈された。
セットするとさすがに会の格調が変わった。その風炉先には書道家である有井凌雲先生の「露堂々」の書が認められていた。

「露堂々」は禅語である。「堂々と露(あら)わる」と読み、「明らかにはっきりあらわれていて、少しも覆い隠すところがない」という意味だと知った。言ってみれば、世の中の真理というものは、どこかに隠れているわけではなく、最初からありのままに現れていて、それらに気づく心こそが大切なのである、という意味なのだろうか。大変に奥深い言葉である。

季節は少しずつではあるが毎日移り変わっている。春に向かって草花は少しずつ成長し、冬が近づけば葉は枯れていく。人の体の細胞だって、日々新しいものに変わりながらも年を重ねれば衰えていく。

そうした姿こそが人の真実の姿であることにしっかり目をむけながら、日々楽しく充実して過ごしていただけるようにお手伝いをしていきたい。ほのかに甘い抹茶をすすりながら、そんなことを考えていた。

【生活のメリハリ】2019.1.10

毎日の生活に充実感を覚えることは人にとってとても大事なことだと思う。仕事をしたり、子育てで忙しい日々を過ごしたり、親の介護をしたり、いわゆる現役時代は好むと好まざるにかかわらず、しなければならない事に追われての毎日なので退屈感は少ない。

ところが、あんなに忙しかったいろいろなことが一段落ついて、高齢者といわれる世代になった時の過ごし方は難しい。“毎日が日曜日”という日々は、実はそれほど楽しいとは限らない。

浪漫座の入居者様には出来るだけメリハリのある生活を送っていただきたい。何もすることがなくて退屈だと思われないように工夫を重ねている。

デイサービスや入浴などの介護サービスのリズムに加えて、毎週の足湯やカラオケ会、ヤクルト販売会などのお楽しみ。月毎に開催されるティータイムや音楽ライブイベント等々、高齢者の体力に合ったメリハリと楽しみのある生活となるようスタッフは頑張ってくれている。

「今年の年賀状に、“今の生活が人生の中で一番幸せです”と書きましたよ」と笑顔で教えてくれた92歳の男性の言葉は本当に嬉しかった。今年の浪漫座は、そんな方をたくさん作りたいと決意している。

【生き抜いてきた人のオーラ】2018.3.28

3月17日(土)は、“スプリングコンサート 奇跡の歌声 引田香織さんの弾き語りライブ”が開催された。ライブを聴かれた方々からは「こんな歌声は今まで聞いたことがない!心臓が止まるかと思ったわ」などと絶賛の声がたくさん聞かれた。

感動のライブの後に、更なるサプライズ。99歳の誕生日を迎えるKさんの“白寿のお祝い会”が挙行された。突然スタッフから金色の烏帽子とチャンチャンコを着せられ、戸惑いながらもだんだんと満面の笑みを浮かべるKさん。金のくす玉を割り、最前列で加山雄三の「君といつまでも」の生歌のプレゼントを聴いているその姿は“生き抜いてきた人間の風格”が感じられた。終了後には、たくさんの入居者様がKさんのもとにやってきて、長寿のご利益をいただこうと握手を求めたり、肩を叩いたり大賑わいだった。

人生の大海原を長く渡り歩いてきた人だけに見える景色があると思う。「99歳まで生きればもう充分だ」と常々言っていたKさんが、「長生きしてみるもんだ、100まで頑張るからね」と語った姿にジンときた。浪漫座には“100まで生きよう”という空気が流れている。

【音楽の力・生演奏の魅力】2018.3.28

あすと浪漫座1Fにあるイベントホール「ハーモニーホール」では、毎月いろいろなジャンルの音楽イベントを開催している。

ピアノリサイタル、演歌ショー、民謡まつり、ビンテージ倶楽部バンドによるクリスマスライブ等々、多種多様な音楽ライブを楽しんでいただくことができる。

2月には総勢36人の吹奏楽団の演奏を聴いた。チューバ、トランペット、トロンボーン、フルート、クラリネット、ピッコロ、オーボエなどたくさんの金管・木管楽器の音を生で耳にして、その迫力と音色の美しさに感動していた。

テレビやCDなどで聴いている時に比べて、直接心に響いてくる生の音は、確実に聴いている方々の心を揺さぶっている。“心の琴線”という言葉があるが、人の体の中にはきっとそれぞれの琴線があるに違いない。

この先、ご入居されている皆様の“心の弦”をどれほど強く、大きく振るわせることができるか、あすと浪漫座は挑戦していきたい。

【奇跡の館・エピソード1】2018.1.18

「あすと浪漫座」に入居された方の変化には本当に驚かされる。
わずか数か月の生活の間でも劇的に変わる方がいる。○様。例えば歩行状態。ご入居当初は車いすで全介助だったのに、「私は歩いてレストランに行きたい」とおっしゃって、3日後にはヘルパーさんに手を引かれてご自分の足でレストランにやってきた。更に2日後には1点杖で登場し周囲をびっくりさせた。
それだけではなく、これまで在宅にお一人で生活されていた時には、お粥とほんの少しのおかずだけの小食だった方が、毎食完食されるようになった。それ以外にもそれまでの生活では考えられなかった進化の姿が見られるようになったのは、奇跡という以外に言葉が見つからない。
「あすと浪漫座」というあこがれの生活空間を手に入れて、“もっと長生きして人生を楽しみたい!”という気持ちが数々の奇跡を生み出しているのだろうか?こんな奇跡をたくさん見たいと思っている。

【2018年の幕開け】2018.1.10

平成30年、明けましておめでとうございます。
昨年5月に“あすと浪漫座”がオープン。以来1日も休まず奮闘してまいりました。たった半年間ですが、たくさんのドラマと笑顔と奇跡が生まれました。年齢を重ねられ、次から次へと襲ってくる病気と闘いながら、心身ともに疲れ果ててしまった方々が、入居されてからみるみる輝きを取り戻していく姿を見ると、思い切って“浪漫座”をつくって本当に良かったと思っています。
今年は戌年。商売も新たに拡大するのではなく、今あるものを更に充実させるようにしっかり守り固めていく年だとも言われています。多くの皆様から“あこがれの館”“奇跡の館”と言われるように、もっともっと皆様の笑顔が見られるように日夜励んでいく所存です。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

【浪漫座シアター】2017.12.5

高齢者の認知機能の改善方法の一つに“回想法”があります。過去の懐かしい思い出を語り合ったり、誰かに話したりすることで、脳が刺激され精神状態を安定させる効果が認められています。 浪漫座では、毎月みんなで懐かしの名画を鑑賞する「浪漫座シアター」を企画しています。
10月は、オードリー・ヘプバーン主演の「ローマの休日」を、11月は石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」でした。
どちらも60年以上前の作品でしたが、約1時間40分ほどの上映時間の間、じっと食い入るように見つめ、終了後には全員総立ちになって大拍手が起こりました。全員の目がうるうるとしているのもわかりました。終了後には、今まで聞いたこともないような淡い青春の恋話も飛び出す始末。思い出パワーの効果は絶大でした。
自分自身が一番輝いていた若かりし頃に思いを寄せながら、わが人生はまだまだ捨てたものではないと心を輝かせている姿が何とも微笑ましく映りました。

【天(そら)は東北】2017.11.21

♪~天は東北 山高く~♪ 旧制二高(現在の東北大学)の校歌である。最近の東北大学生でこの歌を知っている人はほとんどいないと思うが、私が現役学生の時に巡り合ったこの歌は本当に名曲だと思っている。ちなみに作詞は土井晩翠。かれこれ卒業して40年経った今でも心に刻まれている。

最近“あすと浪漫座”に入居された高齢のSご夫妻。ご主人は長年の教職を定年退職されてから久しいが、厳格な方で、二人の娘さん達の前で歌を歌うことなど一回もなかったという。ところが、私とのひょんな会話の中で、Sさんがニ高出身で私の大先輩であることがわかり、私が♪~天は東北~♪を歌いだしたら突然Sさんも歌いだした。横にいた娘さんも初めて父が歌うところを見たと、びっくりしていた。

そこから、本人の記憶の中にしまってあった大事な思い出が蘇ってきた。校歌が書かれた手ぬぐいが見つかり、マントを身にまとった学生時代の写真や、大事に箱にしまってあった徽章が出てきて、当時の鮮明な記憶とともに何回も校歌を歌うSさんの姿が見られた。

青春時代の思い出は、自身の人生の最高の宝物。その輝きをきっちりと確認しながらゆっくりと最終章を歩んでゆく。そんな素敵な生き方を少しでも後押ししていきたいと思っている。

【孤立しない生活】2017.11.11

あすと浪漫座は、毎日人の出入りで忙しい。正面玄関にあるレセプションデスクでは、常に入館や来館の人たちの対応に追われています。「まるでどこかのシティホテルのフロントのようですね」と言われます。入居者が頻繁に出かけることはもちろん、ご家族や知人、友人が毎日のように訪れます。願った(?)通りの光景です。

内閣府が実施したある調査では、「一人暮らしをしている高齢者の会話の頻度」について「2~3日に1回」が最も多く、次いで「1週間に1回未満」となっていて、日常生活で会話をほとんどしない一人暮らしの高齢者の姿が浮き彫りになっています。

また「近所付き合いの程度」の質問には、一人暮らしの高齢者の64%が「ほとんどない」もしくは「挨拶する程度」と回答。

地域社会との接点がなく社会から孤立する高齢者が多いことを物語っています。更に5人に1人が「困ったときに相談したり、頼れる人がいない」と答えています。全国のあちこちで高齢者の孤独死が伝えられ、オレオレ詐欺に代表される高齢者被害がますますエスカレートしていくことに心を痛めています。

有料老人ホームや浪漫座のようなサービス付き高齢者向け住宅に入居することは、孤独死の不安から身を守る最も安心な対策の一つでもあります。ただし、入居すればすべてがうまくいくとは限りません。郊外の高齢者施設に入所した途端に社会や家族からも遠ざかり、個室に閉じこもって寂しい毎日を過ごす事例だって少なくありません。

ゴージャスな展望レストランでのお食事に会話が弾み、共有のラウンジではご家族やお友達と楽しい時間が流れ、デイサービスに出かける人は体力づくりに汗を流し、ナイト足湯につかりながらロマンを語り、併設のカフェで懐かしい友人と紅茶を味わい、豊富な蔵書が自慢のライブラリーでは好きな読書にいそしんだり、「あすと浪漫座」は、ご入居された方が、プライバシーを保ちながらも“孤立しない”ためにどんな工夫ができるかに挑戦し続けていきたいと思っています。

【マルク・シャガール】2017.10.30

「あすと浪漫座」のロビーラウンジには、いくつかのマルク・シャガールの石版画が飾られています。よく知られている「サーカス」や「魔笛」「カルメン」「ソロモンの雅歌」などです。

20世紀最大のユダヤ人画家と評され、生涯にわたり妻であったベラを愛し、妻への愛や結婚を数々の作品のテーマとしたことから、“愛の画家”と言われたシャガール。その幻想的な画風と温かい色彩に何度も心が釘づけになりました。

絵画との出会いは、人との出会いに似ていると思います。どんな場所でどういう作品に巡り合うか、その一瞬の出会いが人生を大きく左右することがままあります。

好きな作家の作品は必ずしも美術館でなくてはならないという訳ではありません。高齢者住宅である“あすと浪漫座”には、美術館に足を運べなくなった人ばかりです。シャガールのような巨匠の絵をご覧になって、それぞれが印象深く心に感じていただけるように素敵に飾ってみたいと思います。

【アンティーク時計】  2017.10.2

年配の方々の中には、昔ご自宅にゼンマイの柱時計があったという経験をお持ちの方 も多いと思います。私の実家にもありました。最初は祖父がゼンマイを巻いていました。 私が小学校の高学年になった頃、「今日からはこの時計のネジ回しはお前の仕事にするからね」と言われ、1週間に1回のゼンマイ巻きが私の日課になりました。

”あすと浪漫座”には、あちらこちらにイギリスのアンティーク柱時計が時を刻んでいます。100年間毎日休まず時を刻んできた「おじいさんの時計」の歌のように、ここにある時計は、本当に100年近くいろいろな人の人生を眺めながらチクタクと歯車を回してきました。

アンティーク時計には、大別してゼンマイ式と分銅式の2種類がありますが、それぞれの時計がなかなか気難しい。ただゼンマイを巻けば動いてくれるという代物ではありません。優しく優しく巻き過ぎないようにして、振り子は左右均等にふれるように調整します。そして耳を近づけてチックタックの音を聞き分けます。リズム正しく均等な音になるまで時計本体の傾きを微調整します。更には時計の進み具合に応じて振り子の長さを調節して一日経ったらまた調節します。本当にデリケートです。愛情がなければ正しく時計を動かし続けることはできません。

やはりこれも人間のお世話、なかんずく高齢者のお世話に通ずるのではないかと思います。

高齢者が1日1日年齢を重ねていくのは簡単なことではありません。血圧や体温などのバイタルはもちろんの事、食欲・排泄・顔色・体の痛み・話す言葉の一つ一つに至るまで丁寧に耳を傾け、必要なサポートを積み重ねて、年輪を刻んでいくものだと思います。そしてやはりそこにも愛情が流れていることが大事なポイントなんですね。 ”あすと浪漫座”は、人にも物にも優しい高齢者住宅でありたいと強く決意しています。

【ビンテージ倶楽部バンド】2017.9.22

平成23年3月11日の東日本大震災以降、震災の被害に打ちひしがれていた近隣の方々の力になりたくて、私と音楽仲間でバンドを結成しました。”アラ還”とも言われる世代のメンバーでつくったアコースティックバンドなので、その名を「ビンテージ倶楽部バンド」としました。

あすと長町地区に建設された復興応急仮設住宅の方々を含めた長町近隣の皆様にお声掛けをして、長町本社ビルにて毎月”頑張ろう宮城応援コンサート”を続けてきました。

参加された方が地元新聞に、「ライブに参加して感激して涙が出ました。頑張ろうと元気が出ました。」という内容の投稿をされたのを知り、音楽の力の大きさを改めて実感しました。

それ以降、地元太白区内の各種のイベントや定禅寺ストリートジャズフェスティバル等で演奏活動を続けてまいりました。皆様の心の中に大切にしまってある懐かしの名曲を中心に、共に音楽を楽しんでいただくハーモニーバンドとして頑張っています。

”あすと浪漫座”でも時々ライブイベントを開催する予定です。

先日、80歳になった永遠の若大将こと加山雄三さんのコンサートを見て力をいただきました。私たちも加山さんが歌い続けたその年代まで元気に歌い続けようと誓い合いました。同じ湘南育ちの後輩として・・・・・

【ビンテージカフェ】2017.9.12

ヨーロッパの街並みには、いたるところにテラスやオープンカフェがあり、昼間であれ夜であれいつも誰かと楽しそうにコーヒーや紅茶を飲んでいる光景が見られて楽しい。
コーヒーが好きなんじゃない。対話が好きなんだなあとつくづく思います。
笑い声が響きわたる街角っていいですね。仙台にもそんな街並みが増えてくれればいいなと思い、ブリテッシュ館「あすと浪漫座」の一角にカフェを作りました。

あすと浪漫座と同様に、イギリスのアンティーク家具とヨーロッパのアンティーク照明にこだわり、ステンドグラスのドアや調度品、小物に至るまでイギリス中を探し回って気に入った物だけを船便で取り寄せてカフェのあちこちに配置しました。

おしゃれなカフェのある高齢者住宅、イギリスでよく見かけた”笑顔のお年寄りがあちこちで語り合っているカフェ”を作ることが一つの夢でした。若い人だけが賑わっているカフェであれば街中(まちなか)に作ればいい。ここのカフェは特別のカフェです。当面はこうした私たちの思いを理解してくれた若い店主にその運営をお任せしています。
あすと浪漫座にご入居されている方々が、ご家族やご友人とともに頻繁にお茶している姿は、何とも微笑ましい限りです。カフェのお客様としてご来店される近隣・地域の皆様との交流の輪が一段と広がってくれればこれ以上の幸せはございません。

【豊富な蔵書・各階にライブラリー】2017.8.29

「あすと浪漫座」の各階には大小趣きの違うライブラリーがあります。小説をはじめとして、絵画集、エッセイ、コミック等いろいろな分野の書籍がたくさん並んでいます。 サ高住を建設するにあたって、図書室は必ずつくろうと決めていました。自分自身を考えて見ると、読んでみたい本はたくさんあるけれども、日常の忙しさにかまけてなかなか読めずに時を重ねてきたという後悔の念があります。

ご入居される高齢の方にとっては、おそらく時間はたっぷりあるでしょうから、まだ目がご不自由でなければ、本が読めることは至福の時を過ごすことになるに違いないと思っていました。

これまで自分が読んできた本や、たくさんの方に寄贈していただいた本があちこちに並べられています。アンティークチェアに腰掛けながら、ライブラリーで静かに本を読まれる方やライブラリーから読みたい本を借りて、ご自分のお部屋で読みふける方など、 予想をはるかに超えて皆さんが本に親しんでいることは本当にうれしいことです。

本は、たった数センチの中に、先人たちのさまざまな知恵、教訓、技術、卓見が詰まっています。自身の人生を豊かにしたり、時には人生そのものを変える程の力を持っているのが本の力です。

高齢者施設や老人ホームに入居したら、そこで人生が終わってしまうのではありません。たとえどんな年齢になったとしても、もっと元気になろう、さらに豊かになろう、知らない世界を見てみよう、という前向きな気持ちを持つことによって、増々生き生きと過ごしていただきたい、それが私の願いです。

【足湯の効能】2017.8.16

最近は、温泉地などでよく見られる”足湯”。足がポカポカ温まるので気持ちがいい。「あすと浪漫座」には、3Fの足湯広場”小春”にヒノキの香りがする足湯があります。夕食後に行われる”ナイト足湯”は、浪漫座の中でも人気スポットの一つです。

そもそも人間の体は心臓から温かな血液を全身に送り出してくれているのですが、足はその心臓から最も遠い場所にあるため最も冷えやすい部分だとも言えます。その冷え切った足を温めることで得られる効果は、私たちが思っている以上にたくさんあります。

①足は第2の心臓と言われています。
足には体全体の神経が多く集中しています。体全体を温めるサウナや温泉と違って 一部だけを温める足湯ですが、実はこれだけで驚くべき美容と健康効果が得られま す。

②むくみやセルライトの解消にも効果的。
足が太いことに悩む女性は大勢います。太く見せている主な原因が、脂肪とむくみですから、これを解消できれば足全体がすっきりしてきます。 むくみの原因となっているのが余分な水分と老廃物です。足は心臓から離れているため代謝や血流が鈍くなりやすく、老廃物が貯まりやすいのです。足湯につかることで足全体の血行が促進されて、たまっている老廃物、余分な水分が排泄されるようになります。そのおかげで足のむくみが取れてスッキリとしてくるという嬉しい効果があるようです。

③あらゆるトラブルの元、冷えを改善
冷え対策として、体を温めることが有効ですが、上半身よりも下半身を温めた方が 冷え症の緩和に効果的だそうです。 足湯は、下半身でも末端部分である足だけを温めるのですが、足には他の内臓と関 連の深いツボが集中していて、足を温めただけで内臓全体を温めてくれます。 これ以外にも、ストレス解消のリラックス効果や安眠効果など、足湯はいいことづくめですね。

そして何よりも、足湯につかりながら楽しく世間話をして、ご入居者様同志が和や かに過ごしていらっしゃることが素敵だなと思っています。

【音楽のある生活】2017.8.7

「あすと浪漫座」の館内には、いつも音楽が流れています。時にはスタンダードジャズ、ある時には映画音楽やクラシックというように、心地よいメロディに包まれた生活ができるようになっています。

幼少時代からずっと音楽を聴いてきました。橋幸夫、こまどり姉妹、水前寺清子あたりから始まり、ビートルズ、ベンチャーズ、グループサウンズにはまり、加山雄三、フォーク、ニューミュージック系などなど、時代とともにジャンルは変われどいつも音楽とともに歩んできました。だから私の日常生活に音楽は欠かせないものになっています。

以前、認知症の高齢者に対する音楽療法を追ったドキュメンタリー映画「パーソナルソング」を見る機会がありました。サブタイトルは”1000ドルの薬より1曲の音楽を”です。そこに映し出された奇跡のドラマには本当に感動しました。

登場人物の一人に90歳の認知症の女性がいます。昔を全く思い出せない彼女に、ルイアームストロングの「聖者の行進」を聴かせたところ、突然目が輝いて「学生時代を思い出すわ」と言って若い頃の思い出をとうとうと語りだしました。  思い入れのある曲、つまりパーソナルソングを聴かせることが、認知症の人たちを救うのにいかに効果的かを実証したドキュメンタリーでした。どうやら、音楽は、思い出と結びつきやすい性質をもっているようです。

そのような意味も含めて「あすと浪漫座」には音楽が溢れています。館内BGMやカラオケルーム、毎月のピアノリサイタルなど、音楽のある生活の中に幸せをかみしめていただきたいと思います。

【あすと浪漫座のユニフォーム】2017.7.12

「そのユニフォーム、とても素敵ですね!」浪漫座に来館されるお客様から時々 かけられる言葉です。テーブルクロス用にとイギリスにて買い付けた、赤いリバティ の生地でネクタイを作りました。濃紺のユニフォームシャツの胸には、”あすと浪漫座” を意味する”AR”のアルファベットをデザインしたお洒落なエンブレムが輝いています。

かっこいい制服、素敵なユニフォームは、不思議に着る人のモチベーションを上げ ます。高齢者を大切なお客様として丁寧に丁寧におもてなししようという気持ちは、 あこがれのユニフォームに身を通した瞬間に、それぞれのスタッフの心に宿っていく ことでしょう。

【ダウントンアビー】2017.7.3

イギリスの人々はインテリアが大好きです。イギリスの各地で毎週のように開催されている大規模なアンティークフェアやどんな町や村にも必ずあるアンティークショップには、実にたくさんのバラエティに富んだインテリアが並んでいるのに驚かされます。

私たちがイギリスのインテリアと言われて思い浮かぶのは、ヴィクトリア調に代表される重厚なイメージの家具や飾り物がイメージされますが、ある方から教えられて見るようになったイギリスの歴史時代劇「ダウントンアビー」(日本でもNHKで放映されました)に出てくるイギリス貴族の生活と素晴らしいインテリアには、すっかり魅了されてしまいました。

ドラマの舞台は1912年から1925年のイギリス、ヨークシャーにある架空のカントリー・ハウスであるダウントンアビー。当時の史実や社会情勢を背景に、そこに住む貴族と使用人たちの生活を描いています。ダウントンアビーの持ち主である当主グランサム伯爵一家の貴族としての豪華な生活、暖炉・シャンデリア・絵画・重厚な家具などのインテリアの数々のみならず、お城のようなダウントンアビーの地下で生活する多くの使用人の生活ぶりや調度品の一つ一つにも目を奪われました。

ドラマ撮影の実際の舞台となった「ハイクレア城」にも足を運び、実際にドラマで使用された家具やインテリア品の実物をじっくり見ることができました。例えば、ハイクレア城のメインダイニングルームは、英国王室や貴族の館でよく使用される格式のあるヘップルホワイトの家具が使われていました。それぞれのお部屋に必ずある暖炉を飾るマントルピースもそれはそれは豪華なものばかりでした。私たちにはとても手の届く家具やインテリアではありませんが、素敵なインテリアの使い方や配置の仕方などはとても勉強になりました。

「あすと浪漫座」にお住まいになるご高齢の皆様には、少しでもこうした英国風の夢のような雰囲気の空間を味わっていただきたい、伯爵や伯爵夫人になったような気分で老後の一日一日を過ごしていただきたい。そんな思いで、少しずつ少しずつ集めてきたイギリスの調度品を館内に配置いたしました。手作りの一品物をじっくりご堪能ください。

【イギリス風の建物 その2】2017.6.21

イギリスの住宅のほとんどは、日本で言う中古物件です。築100年以上はザラです。もちろん新築物件もあるようですが、ほとんどのイギリス人には、古いジョージアン様式、ビクトリアン様式、エドワリアン様式などの趣のある中古物件が人気です。それらの中古物件を購入後、自分たちのスタイルに合わせてリフォームしていくのがイギリス人の住まい方のようです。イギリスでは、更地に住宅を建てるには、多くの許可や申請が必要となるため一般的ではなく、大半の人たちは中古住宅を購入し暮らしています。

日本との違いの理由の一つは、住宅の寿命の長さにあります。住宅の平均寿命は、日本30年、アメリカ55年、イギリス77年等と言われています。日本は、世界の先進国の中でも最も短い住宅の建て替えサイクルを持った国なんです。イギリスの家は古い古いと言われますが、なぜ古い家が多く、新しい家があまり建てられないのでしょうか?建物の寿命が長いのには、地震がないこと、レンガや石造りであるという理由があります。1666年のロンドン大火以降は、建物は石もしくはレンガ以外では建ててはいけなくなったそうです。また、古い建物の歴史的価値をとても重要視し、建物にランクをつけて、外観の変更を一切許さない条例で建物と町の景観を守っているようです。 そして、ほとんどの道路では景観条例で建物の前面の素材や色を決めていて、その変更を禁じています。ですからそうした条例が変更されない限り、町の景観は100年経っても変わることがありません。

こうしてイギリス人は家を含めた町全体の景観をみんなで大事にしているんです。「あすと浪漫座」の外観をイギリス風にしたのは、そんなイギリス人の考え方に感動した私のほんのささいな主張でもあります。”あすと長町”という希望あふれる新しい街づくりが始まったのですから、味気のないコンクリートの町ではなく、誰もが憧れるロマンティックな街にしませんかという気持ちを込めてデザインしました。

年数が経つほどに歴史の味が出てくる建物になればいいなと思っています。素人っぽく手直しを重ねながら・・・・・

【イギリス風の建物 その1】2017.6.6

「あすと浪漫座」のある”あすと長町地区”は仙台の副都心と言われる長町駅東側の新しい街並みです。仙台市立病院や北欧家具のイケア、スーパーやドラッグストアなど各種の店舗や施設に加えて、多くの医療機関も次々と建てられ利便性の高い注目のエリアになっています。

しかし、その景観を見れば決してワクワクするような素敵な街並みとは言えません。 通り沿いには巨大な高層マンションが次々と建設され、日本のあちこちの都会に見られるようなコンクリート中心の味気のない街になりつつあります。

私がアンティーク家具の買い付けでイギリスのあちこちの町を回って何よりも感動したことは、小さな町であれ賑やかな中心都市であれ、どこの街並みもその景観がとても素敵だったことです。ああ、こんな町に住みたいなと思わせるところばかりでした。

不思議なことに、イギリスでは中心都市ロンドン以外で現代風の新しい建物に出会うことはほとんどありませんでした。だいたいは100年以上は経っているだろうと思われる同じようなデザインや色合いの家々が並んでいて、窓辺にはお花がふんだんに飾られ庭も美しく手入れされていました。日本の風景とはまるで違います。

その時から、自分が新しい建物を建てるとしたら、周りに住んでいる人からも楽しんでいただけるようなイギリス風の建物にしようと思い始めました。

【修復しながら、ずっと使い続ける家具・・・人間も同じかな?】2017.5.30

ほとんどのアンティーク家具は、100年近くまたはそれ以上の年月を刻んでいます。 どんな物でも100年経てばアンティークになれるかというとそうではありません。

安価な材料で簡単な工程で作られた物は、ほとんど修復することができないので長い年月の中で自然に廃棄されていきます。本物の素材を使って、きちんとした工程で丁寧に作られ、大切に使われ続けた物だけがアンティークとして残っていきます。

アンティーク家具に使われている美しい木目の木材などは、今の時代ではほとんど手に入らない物ばかり。手作りの時代だからこそ出来た職人さんの工芸技術にも目を奪われます。そのようにして大切に作られた家具は、何回でも修復・補修することができます。アンティークを商売として取り扱うショップの方々は、このリペアという修復の技術も学んでいます。新品同様に直すのではなく、本来の素材そのものの良さを生かしながら年月が刻んだ傷などの風合いも大事にして修復していくと、この世にたった一つの愛着のある素敵な家具となって甦ってまいります。

高齢者介護の仕事に従事させていただいている私には、幾多の荒波を乗り越えてこられて90歳100歳を迎える方々こそアンティーク家具のような本物の貫禄の持ち主のように映ります。老化や病で弱ってしまった部分を上手に修復して大切に関わっていけば、まだまだその方の輝きを維持していくことができると思っています。

そうした気持ちから、「あすと浪漫座」には館内のあちらこちらに”アンティーク家具”を置かせていただきました。どうぞお楽しみください。

【アンティークとの出会い】2017.5.16

平成24年のある日のこと。東日本大震災の被害からようやく立ち直って、前に向かって進んでいこうと決意。名取市の那智が丘の高台に、足湯のあるデイサービスを作ろうと思い鳴子温泉の旅館・ホテルの足湯を見学した帰り道、道沿いに「ANTIQUE」の看板を見つけました。

どんなお店だろうと恐る恐るドアを開けると、古びれたテーブルや家具が所狭しと並んでいました。アンティークのことも家具の価値も何もわからないので、家具につけられている値段が高いのか安いのかさえもわかりませんでした。手頃な大きさの、猫足の3点テーブル(ネストテーブルという名前だということを教えていただきました)だけ購入して後で自宅に届けてもらうことにしました。

1か月ほどしてそのネストテーブルが届きました。正直その姿にビックリしました。お店で見た時とは見違えるほど綺麗に修復されていて本当に素敵な家具になっていました。この時初めて「アンティーク家具」というものの魅力が私の心に宿ったように思います。

【アンティークの魅力2】2017.5.10

「アンティーク家具」の正しい定義があるのかどうかは知らないが、主にイギリスや フランスなどのヨーロッパで、おおよそ 1900年代前半~1970年代に作られた家具のことを言うようです。日本ではあまり馴染みのない言葉ですが、最近少しずつその魅力にはまっていく人が増えているように思います。

そもそも物を大切にするイギリスやフランスなどヨーロッパでは、簡単に物を捨てるという習慣がありません。自分が必要でなくなったものは、次に必要とする人によって大切に使い続けられることが当たり前なんです。そうやっていろいろな人に愛されて長い年月を経たものが独特の風合いを醸し出して「アンティーク家具」の魅力となっています。