スタッフ紹介

早いもので今年のカレンダーも12月1枚とまりました。やり残しが無いかと気持ちは焦りますが、心に余裕をもって毎日を過ごすことが大切です。               
12月には、クリスマスや歳末セール等、楽しい事やウインタースポーツも盛り上がりを見せます。大掃除や年越し準備などやる事がいっぱいですが、計画的に毎日を過ごしましょう! そして、身体を温め栄養と睡眠をしっかり取って、元気に年越ししましょう!

 

★11月10日に「市民大訓練」が開催されました(寝屋川市)
寝屋川市の23の小学校に約8000人が参加したとのことです。
小学校が避難所としてどの様に開設されるのかを知る良い機会になりました。
今回の内容を少し紹介します。

●避難して来た市民が校門の鍵を開けることが出来るように校門横に「鍵ボックス」が設置されています。
※震度5以上でボックスから鍵を出せる様になります。
※鍵を開けて、まずは運動場に避難してほしいとの事でした。

●給水車からの水の供給の確認
※被災2日目以降の設置を想定との事。
※1人1日3Lの水が必要との事。
※背負える飲料袋の紹介もありました。(6ℓ用)

●体育館で(テント・救護所・簡易トイレ)の確認
※プライベート空間が確保できるテント(床が固く長時間はしんどいとの声あり)
※簡易トイレなどもテントで囲われてプライバシーに配慮。
※体調不良者は、救護班に相談を。勝手に救急車を呼ぶのはやめましょう。

●救助用のチェーンソー、油圧ジャッキの使用方法を確認
※ガソリン式は、2か所にガソリンを入れてから使用。
※充電池式は、業者が定期的に充電しているのですぐに使える。
※女性や高齢者には、重くて無理との声もありました。

●災害備品などは、体育館の倉庫等で保管されているとの事
※神田校区は、本部との連絡手段として防災無線もあるとの事。

●特別教室・ペット避難所の確認
※妊産婦や配慮が必要な方の為、教室の一部を特別避難所として設置。
一般の避難者と接触しない導線が確保される。
※ペットは、校舎の廊下等をペット専用避難場所として設置。

〇避難所のルールを守り、飼い主は排泄物の始末を始め、飼育環境を清潔に保つとともに、周りの人への配慮が必要。
持ち込みが必要な物(飼育ケージ、ペットフード、水、その容器、排泄物を処理する用具、ペットシーツ、首輪又はハーネス、リード等)
※今後、ペットフードや必要用具の備蓄も検討すると言われていました。

個別のアレルギー対応食やお薬は、各自で準備が必要との事です。
※防災備蓄品として準備しましょう

 

すずらん通信

5月1日からすずらんで働く事となりました。川上浩です。

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私は、平成25年に初任者研修を取得して、介護業界でお仕事をさせて頂く様になりました。高齢者施設の入居相談員からデイサービスの管理者兼相談員。その後、高齢者施設の施設長として働いてきました。

高齢化社会で介護を必要とされている利用者様やご家族の介護で悩まれている多くの方々と接する機会がありました。その中で安心して生活できる為には、多くの方々との連携が必要である事を知りました。医療連携・介護支援・福祉用具・行政サービス、それらをより良く繋ぎ合わせる居宅介護支援等の多種多様なサービスを知り、提供する事が私達の仕事だと考えています。

これまでの経験を活かして、多くの利用者様と接する中で私自身が更に勉強し成長する事で、すずらんに貢献出来る様に頑張って行きますのでよろしくお願い致します。

第72回寝屋川市身体障害者福祉会総会が開催されました。

29日(水)に理事長や、すずらんの利用者の方々がたくさん参加されての第72回寝屋川市身体障害者福祉会総会が4年ぶりにエスポアールで開催をされました。

広瀬市長を始め北川市議会議長、高見市議会議員、村川保健福祉部長、等その他、来賓の方や一般の方を含め90名弱の方が参加頂きました。

初めての会場ということで、この日を迎えるまでに様々な準備をされてきたので、 当日も臨機応変な動きで、無事開催をされていました。

参加者の方々からは、『久しぶりに心の底から笑顔になれた。』、『参加してとても勉強になった。』と嬉しいお声が多かったとのことです。

年に一回の障がい者の方と健常者の方が交流する場となっています。又来年も開催予定をしていますので、一般の方も是非参加して頂けましたら、幸いです。

今月のテーマーはすずらん理事長丸山久雄の活動をインタビューさせていただきました。

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理事長は30代で突然視力を失い、(網膜色素変性症)と診断され、視力障害1級 の認定がつきました。職を失い過酷な生活の中様々な人と出会う。

平成14年知人の誘いで、寝屋川市の身体障害者福祉会視覚部会長に就任。
障害を持った人たちが今まで苦労してきた分、生活しやすい環境つくりをしていきたいとの思いで、様々な案件に取り組んでこられました。

平成18年には寝屋川市福祉会会長に就任。
皆の声を形にしたいと。様々な組織の方々が一体化して取り組んでいけるように、社協ボランテイア部会、ややさしいまちづくりを立ち上げる。

その中で、点字ブロックの整備、横断歩道で歩行者の信号が青に変わったときになる【音声信号】の設置個所を増やすなどの取り組みをされました。
又皆さん市役所や健康福祉センターの位置確認の為の音声チャイムがあるのはご存じでしょうか?
他市では先にされていた取り組みだったみたいなのですが、寝屋川市ではまだなく協議から設置まで3年かかったとのことです。

特に市役所や健康福祉センターに行かれる方が多く、定期的に【キンコーン】と音声チャイムがあることでもうすぐ目的地に到着できる、安心できるとの喜びの声がたくさんあがっているそうです。
寝屋川市の福祉会会長に就任してから今年で17目になるそうです。
最後に川柳を読んで頂きました。

泥沼に さきし一凛 蓮の花

視力障害だけでなく、脳梗塞、癌など様々な大病を患いましたが、たくさんの方との出会いや励ましで、乗り越えることができました。これからも一人一人を大切に、障碍者が住みやすい街は健常者の方も住みやすい街だと思うので、安心して暮らせるまちづくりを目指しこれからも頑張っていきます。

今回は三宅様97歳女性のご家族様にインタビューをさせていただきました。

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50歳でご主人が他界をされ、寂しさだけでなく何か自分でやってみようと、そこから新たな人生を開始されました。着付けの資格をとり、又着物のアドバイザーとして、関西県内をあちこち飛び回りお仕事をされていたそうです。そのお仕事を70代前半まで勤め、そして趣味を開花し、60代から年3回ほど海外旅行をし、とても満喫した第2の人生を送られていました。

しかし95歳の頃から出歩いても帰れるか、少し心配な状況が続き、その心配が的中したかのように外で転倒し肩を骨折され入院。そこからみるみる体力も落ち、一人ではなかなか歩きにくい状態になりました。精神面でも不安定になり、このまま自宅に帰っても介護できるかとても不安だったそうです。その中で医師から介護申請の話をして頂き、今まで全く知らなかった介護サービスのことを教えていただいたそうです。

ケアマネジャーも紹介して頂き、寝屋川市にある【春日の家】というお泊りもできる地域密着のデイサービスを利用することになりました。

最初はなかなかコミニケーションをとることも難しく、手ぶりやボードなどを利用されたり、精神面でもとても不安定な状態や物事の理解などもなかなかできない状態が続く中一歩も引くことなく、スタッフの方々の温かい声掛けに少しずつ、気持ちも和らぎ状態も安定して、今ではご自分からお話もされるようにもなられているとの事。【春日の家】のスタッフの方々に感謝しかない又母にとっていごこちがいい場所ができたことが本当に嬉しくてしょうがないと娘さんが語ってくださいました。

~インタビューを終えて~

ここまで状態が落ち着くのに2年間かかりました。何があっても暖かく声をかけ続けてくれるスタッフの姿が三宅様の心に通じたんだなと感じています。それを表すかのような今回のお写真に是非ホームページでたくさんの方に見ていただきたいと今回三宅様に声をかけさせていただきました。こちらが幸せになるぐらい素敵なお写真。心が癒されますね。【春日の家】のデイのスタッフの皆様、娘様ご協力本当に有難うございました。

今回は漁師猛様72歳の方にインタビューをさせて頂きました。

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定年後もシルバー人材センターで4年間もお勤めされ、健康そのものだったそうです。 それが昨年転倒して骨折、退院後更に転倒し、あっという間にベット状の生活になりました。奥様も股関節を痛めており、杖や歩行器などを使いなんとか動けている状態でした。

その中で地域の中にある居宅支援事業所すずらんさんに相談し、夫婦共に介護申請をしてもらいました。それまでは妻が一人で、大変な体の中おむつ交換や食事介助、動けない自分のお世話を懸命にしてくれていて、見ていても倒れそうな状態だったのですが、介護サービスを使い、手すりをつけてもらったり、ベットなどのレンタルをしてもらう中で少しずつ元気になりました。中でも元気になったきっかけは、ヘルパーさんに入浴をしてもらうようになったからです。入浴支援をしながら、いつもきめ細やかに声を掛けてくださり、家族しか話さない生活だったのが、ヘルパーさんとも会話をする中で、気持ちがどんどん前向きに元気になり、人との関わりの大切さを改めて感じました。

その中で病院でのリハビリが終了し、介護保険を使っての自宅でのリハビリが開始しました。自宅の階段などを使い筋力を向上してもらい、室内でも少しずつ自信をもって歩けるようになった中、今まで車でしか移動していなかったのですが、歩行器を使い、リハビリの先生と外も歩く練習もできるようになりました。ねたっきりだった生活を思うと今の自分がうそみたいですが、今はリハビリの先生とともに歩行器を使い、近くのスーパーや公園に行きたいという、目標ももてるようになりました。

~インタビューを終えて~

奥様も体が大変な中、毎日懸命に頑張られていました。介護サービスを利用し、一つ一つ問題点が解決していく中で、ありがとう、ありがとうと常に感謝の言葉をゆってくださり、とても素晴らしいご夫婦だなと感じました。本当に劇的な回復でしたが、介護サービスだけではきっとここまで回復しなかったなと感じます、介護サービスだけに頼らず、どこまでもご夫婦二人が目標をもって頑張られてきた姿があったからこそだと思います。又新しい目標を掲げ頑張られている、漁師さんご夫婦をこれからも応援していきたいと思います。

今回は藤村 昌治様、75才の方に様々なお話をお聞きしました。

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昨年まで、元気に過ごしていたが、今年の7月に発熱。様々検査をするが、はっきりした病名はわからず、最終悪性リンパ腫と診断される。
お酒、たばこも吸わない、健康には非常に気をつけていた。なぜ自分が病気になったのか、人生何が起きるかわからないと思った。

医師からは、『医療機関おまかせ』ではダメです。患者本人が治ろうと、治そうとする意欲が大切であるという話があった。
多くの患者を見てきて、言えることは、治そうとする意欲のある人とそうでない人とは確かに違います。とのこと。
そこで自分に何ができるかを考える

①体を動かす。②頭を使う。(日誌をつける。その中には体重や検温などを記入)  ③食事をしっかりとる。④薬をきっちり飲む。

そう思えたのは、自分の人生の中で、本との出会いがある。20歳から本を読み始める。 たくさんの知識を本からえる中で、何事にも前向きに考えることができる、自分になる。
妻は僕が突然病気になったことに、驚きを隠せなかった。意識もなくもうこのままダメなのかと思ったとのこと。

今は介護認定を受け、手すりや住宅改修をし、室内では転倒することもなく、安心して生活ができており、これからもできることを頑張っていきたい。

~インタビューを終えて~

今後の夢はありますか?とお尋ねすると、妻と一緒に旅行に行くこと。
僕は今までたくさんの地域に行ったことがあるので、そこに妻を連れて行ってあげたいと。とっても最後は暖かなムードになるお話でした。

視覚障害のガイドヘルパーをしていますIです。

友人に教えてもらいこのお仕事を知りました。ボランティアではなくお仕事のことですぐに資格を取り、すずらんに登録しました。
お恥ずかしいことですが、これまで生きてきて視覚障害を持った方々のことは目に入らず生活していたと思います。
ガイドヘルパーのお仕事は楽しく、いろいろな方々からたくさんの刺激を受け、やりがいを感じています。
スポーツをされる方、囲碁に夢中の方、コンサートに行かれる方、カラオケ好きの方等々、利用者さんはインドアの私よりずっと活動的です。

落ち込んでいてもお仕事に行き利用者さんとお話しすると元気になっている自分がいます。
「ラジオでこんな事言ってたよ」「○○でイベントがあるらしいよ」と興味深い情報も教えてくださいます。
いろいろな経験をさせていただき、日々勉強です。
すずらんは丸山理事長をはじめ、スタッフさん、ヘルパーさん、みんなアットホームで本当に温かい事業所です。スタッフさんはいつも私たちヘルパーを気遣ってくれ、悩みなどにも聞いていただいています。そして何よりも利用者さんのことを考え事務的でない思いやりのある対応をされているのを見ると頭が下がります。
これからも新しい出会いを楽しみに頑張っていきます。

中村キヨ様80代女性を介護されている、娘さんにインタビューをさせて、頂きました。

寝屋川市内で令和2年まではお元気で、お一人で暮らされていましたが、その後 脊柱管狭窄症になり、腰の痛みとも戦いながら、その翌年には担癌が発覚。抗がん剤の治療の為、何度も入退院をくり返しながら、頑張っておられ、近隣に住む娘さんが支援をされていました。

抗がん剤も熱が出たりなどで、入院が長引いたりもする中で、ADLも下がり、一人暮らしでの継続が困難になられました。

その中でご主人がお母様の為にも同居しようとゆってくださったそうで、今年度から同居生活が始まりました。娘さんの思いとしては、今まで介護の世界をほとんど知らなかった状況の中で、バルーンと胆管のドレーンをしている為、医療面でもかなり支援が必要で在宅での生活はリスクが高い状況の中、娘さんの様々な不安を一つ一つ消してくださるように、土日以外はリハビリも含めて、医療で看護師さんが毎日入って下さり、介護の仕方なども親切に教えてくださり、不安なく介護できたそうです。

往診の先生も入ってくださる中、寝たっきりの様な、ベット状での生活から、少しずつ起き上がれるようにまで回復されました。

しかし問題点として、室内外においてかなり、段差がある事。又てすりは全くないという住宅環境の中、どう生活をしていったらいいか?悩む中、専門の方と協議を何度も重ねて、介助をしながらでも、手すりを持ちながら移動できる環境作りを実現することができました。

ととても喜ばれていました。

どんどん元気になり、今ではデイサービスにも参加をされています。娘さんは

『母と一緒に暮らしていくという私の夢も継続していけそうです。

そこには、介護を理解してくれている家族、又本当は入院したくない、デイにも行かず、ゆっくりしたい、という思いがあっても、元気になってもらいたいという娘の思いに答えてくれる母。その中で今の生活が維持できていることに幸せを感じています。これからも家族仲良く頑張ります。』と笑顔で答えてくださいました。

インタビューを終えて

私自身退院後からかかわらせて頂き、病院と在宅で往診、介護と医療サービスの併用、福祉用具で住宅環境を整える事で、ここまで回復されたことに驚きを隠せません。専門職の多職種のかかわりの必要性を改めて感じました。またいつお会いしても笑顔の娘さん。心にゆとりを持ちながら、常に前向きな考えでお母様を支えられ、その思いが通じているように、お母様もいつも笑顔を絶やさず、とてもいい親子関係でいつも安らぎを頂いています。

 

 

 

サービス提供責任者をさせて頂いております。奥島です。

平成15年、福祉が大きく変わり、変動のあった年に、障害福祉課の登録から事業所へ登録の移行となり、たくさんの事業所が寝屋川に開設され、すずらんもそのひとつでした。

丸山理事長の事業所ならと友人とともに、ガイドヘルパーの仕事をさせてもらうことになり、いつの間にか20年が過ぎました。

利用者様には、当事者でないとわからない大変なこと、どの様な支えが必要かを教わりながら、支援することの難しさを感じています。

時の流れは止めることができない、我が身も些か体力の衰えを感じるときはありますが、利用者様にとって、すずらんで支援を受けてよかったと思って頂けるよう、誠実で頼もしい、ヘルパーの皆さんとともに頑張っていこうと思っております。

今回は、今年89歳になられた新田幸枝さんを取材させて頂きました。

新田さんは、左変形性膝関節症や腰椎症で掃除ができないと紹介があり、2017年から予防のための家事支援ですずらんが訪問させていただいています。 昨年9月、椅子に座ろうとした際に転倒、左大腿骨頸部骨折で入院、大きな手術となりました。

そんな中12月に、要介護2の認定を受け、退院された新田さんは、杖歩行でトイレにも行くことができ、電動ベッドなどの福祉用具を利用するようになり、「掃除はこれからも支援を頼みますね」と元気に退院されてきました。以前よりも足の運びが悪くなり、2階にも登れなくなってしまったこともご自身なりに受け入れての再スタートでした。

大ケガから半年、現在は、毎朝ご近所の方々とラジオ体操、夕方1時間ゆっくりと散歩、食事もレンジを駆使しながら3食きちんと作り、週1回の家事支援、週3回の半日デイサービスで入浴とマッサージ、週1回のリハビリデイサービス、生協と、1週間忙しく過ごされています。「デイサービスの職員さんも、訪問のヘルパーさんも、みんな私の孫みたい。好きやね~ん」と出会う人との会話を楽しまれ、なかなか会えないお孫さんも同じ仕事をしているそうで、みんな可愛いと仰っています。

唯一空いている日曜日は、コロナも収まってきたので近くの喫茶店で大好きなカラオケを馴染みの方々と楽しまれ、新曲にも挑戦しています。

愛媛の息子様は何か事あるごとに心配し、「連れて帰る」と言われることもあったそうですが、持ち前の明るさで、新田さんの周りはいつも心配して下さるご近所の方やご友人が声を掛けて下さり、「心配することは何もない」との言葉に息子さんも納得されたそうです。

若い頃から様々な仕事に汗を流し、30歳を前、仕事中に左手人差し指を切断してしまった時が一番辛かったそうです。左手を隠して過ごしながら、それでも働き、晩年は保険外交員を30年勤めあげました。ご主人は18年前に先立たれ、それからずっと一人暮らしですが、「寂しいことはない、今は本当にしあわせ」と仰る新田さん。

若い頃の辛かった思いや、保険の営業で培ったことなど全て良い方向に生かされ、幸せな日々を送っておられるとつくづく感じさせられました。

すずらんの事務を担当しています本田です。

早いもので来年には10年という節を迎えます。この10年は私の人生においても大小様々な事がありました。いつも形を変え励まし続けてくれる先輩の存在や職場での他愛のない会話で励まされたことは数知れません。ベテランのヘルパーさんのようにはいきませんが事務をしながら利用者宅にケアに入らせていただくこともあります。

『人生は1回きり!』一瞬一瞬の出会いを大切にし、今目の前にいる方に全力を尽くそうという自分の目指す生き方に少しでも近づけたらいいなと今日も走り続けています。

今回はOさん女性介護4の母を日々介護されている娘さんにインタビューしました。

今まで元気だった母が4年前から様々な病気にかかり、ベッド上での生活になりました。
幸い、母の近くに住んでいたため、通いでの介護が始まりました。同居している兄と父、私の3人でローテーションを組んでの介護をしています。

母は夜、眠れなかったり同じ話を何度も繰り返したり、介護の負担も大きかったのですが、ケアマネジャーさんと何度も話し合いを重ね、往診や訪問看護、訪問薬局、お泊まりデイ、福祉用具レンタルなど、介護の限度額をほぼ使いたくさんの方に手伝ってもらい、医療面や介護面で的確なアドバイスを常に頂き、安心して介護をすることができました。

私は現在、40代です。
母の介護を経験して、介護はやってみないと分からないと感じた事と自分自身の今後の老後なども改めて考えるようになりました。
自分の子供には母の介護を最初は見せたくないという思いがありましたが、今は子供にも介護の話をしたり、一緒に母のところに行っています。
そして介護をしていることも友人などに話すことで、実は私も介護をしてると話が聞け、相談できたり、一人では介護はできず、専門職の方々に支えられたり、友人が力になってくれたり、たくさんの方がいつも助けてくれているんだと改めて感謝をしながら日々過ごしています。

~インタビューを終えて~

一人で抱えず、悩まずたくさんの方に相談をすることで、無理なく在宅生活を継続できているんだなと感じました。
3人で介護をされていると意見の食い違いなどでうまくサービスが行かない場合もありますが、最後は父が決定すると決められているのもとても良いと思いました。
また、母の介護の姿を幼い子供に見せていく、とても大事なことですね。
きっと優しいお子さんに成長されますね。

すずらんでサービス提供責任者をさせて頂いています柴田ゆかりです。

50歳を前に、友人から「一緒に行かへん?」と誘われ「いずれ両親を見る時には役立つだろう」くらいな気持ちでヘルパー資格を取りました。
すずらんに登録して少しの訪問をしていましたが、施設で働く別の友人から「夕方になると手が足りないから手伝いに来てくれへん?」と誘われ、認知症グループホームにパートで入りました。

在宅の訪問介護とグループホームと認知症の方々をサポートしていく中で、資格取得時の勉強不足と知識の無さを感じるようになった頃、今度は障害者施設で働く友人から「私ひとりじゃ頑張られへんから一緒に介護福祉士の試験を受けましょうよ」と背中を押され、介護福祉士にも挑戦しました。

不思議なことに、介護に係る全ての転機のきっかけに、友人たちが声を掛けてくれたり、何気ない日常の疲れを癒してくれたりし、自分一人ではここまでやって来れなかっただろうなと実感しています。

私自身は、昨年から病気治療をしていることもあり、自分自身の生き方や老い方、健康づくりなどなど、様々な思いを駆け巡らせています。
その上、今まではあまり干渉し過ぎず、家族一人一人の生活スタイルや家庭を尊重し、過ごしていましたが、ちょうどコロナ禍になったタイミングもあり、家族との会話も増えたり、グループライン電話をして、自分の思いを伝えたり、子ども達の話もよく聞くようになりました。

ご利用者様も年齢や季節の変わり目、ご家族の状況の変化などが要因で、転倒されたり、認知症状が変わったり、現在はコロナ禍の影響もあり、本当に一日一日が油断ならない毎日です。
そんな中、利用者様もヘルパーの皆さんも、個々には色々とあると思いますが、「今日も一日良い日だったなあ」と感じられる、そんな毎日を送って欲しいと願っています。私達の訪問時間は限られた時間ですが、「このヘルパーさんと話して楽しかった」「きれいになって嬉しかった」、「この方の笑顔が見られた」「たくさん話して下さった」など、他愛もないやり取りでも幸せを感じられる、介護の仕事はそんな仕事なのかなと感じています。

今回はHさん女性にインタビューをさせて頂きました。介護保険のサービスをご利用されています。

40代にパーキンソンの発症。その当時はあまりこの病名がしられておらず、あちこち病院に行き、1年かかりパーキンソンという病名がついたそうです。
治療効果もあり、その後30年程は状態も落ち着いていたが、様々進行もしてきており、病状も悪化。そこで新しく出会った病院のお薬が合い、そこから10年近く同じお薬でとても状態が落ちついています。ただ一日4回のお薬を決まった時間に飲まないと一気にレベルが落ちます。家族様をはじめかかわってくださっている、デイさんやヘルパーさんがきっちりお薬を飲ませて下さっているのもあり、元気な時は、レクレーションにも活発に参加されるほどです。デイも休むことなく楽しいといつも笑顔で行かれています。
家族様はとても自然体で介護されています。状態に合わせて、食事のペースを合わせられたり、好きなものを考えながら調理をされたり、その真心が伝わっているかのように、いつも笑顔で過ごされています。

一番の苦労はなかなかコミニケーションがとりずらく、思いをくみ取ってあげれないこと。と言われてました。今こんな事を考えているのかなあ~など想像しながら、できるだけ思いに沿えるように頑張っておられます。娘さんは同居をしながら、お父様と共に日々介護されています。様々なサービスを利用しながら、これからもできるだけ在宅生活で介護をしていきたいと、日々奮闘されています。

~インタビューを終えて~

介護度も高く介護も大変だと思いますが、どこまでもご本人様のペースに合わせて、自然体で介護されていることで、ご本人様も安心して笑顔をたえさない日々を送ることができているんだなと感じました。又お薬があうことで、難病であってもこれほどまで安定した状態でいることができていることに、一人一人本当に同じ病名でも状態は違うので、病院との巡り会いの大切さもとても感じました。
上手に介護サービスの利用もされていることでとてもいい生活リズムができているので、他者の力も借りながら、今後も在宅介護を頑張っていただきたいなあと思いました。

ケアマネ業務担当

すずらんでケアマネ業務を担当している西眞理子です。

平成13年からヘルパーとして介護業務に携わりながら平成17年に介護福祉士資格、平成19年にケアマネ資格を取得し、現在まで介護業務、ケアマネ業務を兼務しています。

約20年、すずらん一筋で働き続けていられるのは、利用者様、職場環境に恵まれているおかげと感謝しています。

若い頃、臨床検査技師として働いていましたが、人との関わりのもてるこの業界の方が楽しいです。 趣味の茶道は18才から細く長く続けています。 意外にコツコツ一筋タイプです。

今、介護現場はコロナ禍で、素早い対応に体力、気力が大切。これからもフットワーク軽やかに利用者様に誠実に向き合っていきたいと思います。

今回はお名前を出すことに了承して頂きましたので、お名前を紹介させて頂きます。

中川美枝子様 82歳 介護保険を利用し、運動できるデイサービスを週2回通いながら頑張っておられます。

60代から好きだった手芸などを習いに行ったことがきっかけで、様々な作品作りを挑戦してこられました。ここで作品をいくつか紹介させていただきます。

60代後半になりご主人を亡くされ、一人暮らしを始めるようになってからは、特に認知にならないように、子供にお世話にならない人生を送りたいと、たくさんの作品を作っては、友人や知人に渡しているそうです。「ありがとう」という言葉にまた自分自身も元気をもらい、誰かのために何か自分ができる状況にあることにいつも感謝されています。
コロナ禍までは、月一回自宅に友人たちを招待し、食事会を開き、コミュニケーションをとってこられました。
私のまわりにはいい人が一杯います。そういう方々と巡り会えたことが本当に幸せです。

自分のモットーは【死ぬまでに自分の事を忘れずに、自分の事は自分でしたい】
人生に悔いなし、一日一日を大切に過ごしていきたい。そして幸せをみんなに分け合って行きたいとのことでした。今の夢はまたみんなで温泉にいきたいなあ~とのことでした。

~インタビューを終えて~

中川様はいつも素敵な笑顔でお話をして下さいます。人の為に尽くす人生。中川様のまわりには笑顔しかありません。誰かの事を思い、何かを作る、その中でエネルギーがわきでて、いつまでも若々しく、素敵な人生を送れるんだなっと感じました。これからも応援しています。