社長挨拶

晴れ晴れと 新しい扉を開く年に!

代表取締役社長 高橋一成

 令和6年 明けましておめでとうございます。
長かった新型コロナウィルスとの戦いは、昨年の半ばから様相を大きく変え、久しぶりに感染の恐怖から解放された晴れやかなお正月を迎えることができたのではないかと思います。
日本のどこの地域であれ、どんな業界であれ、この3年間はこれまで経験したことのないような忍耐の期間でした。とりわけ高齢者の介護に携わる私達にとっては、お客様お一人お一人の健康と命を守るため、毎日毎日が戦いの連続でした。
こうして忍耐しながら蓄えてきた経験と知識を前進のエネルギーに変えて、いよいよ次のステージに挑戦していきたいと決意しています。
2024年、干支では「甲辰(きのえ・たつ)」。いままで準備してきたことが身を結び、勢いよく成功を収めることができる年とされています。
60年前の「甲辰」である1964年は、東京オリンピックで日本中が沸き上がった年。これを契機に日本が世界に誇る経済大国への道を歩み始めたことは言うまでもありません。まさに日本の新しい扉が開かれた年となりました。
  私たちの会社で言えば、今年はケアサポートみやぎが創立60周年、そしてウィング本社が長町に移転しデイリゾートスカイウィング長町が開設されてから20周年の節目を迎えます。刻まれた歴史を大切にしながら、新しいページをたくさん綴っていきたいと思っています。
さあ、今年もスタッフ一丸となって、新しい扉を開いていこうではありませんか?そして、更に一段と地域の皆様から信頼される企業になれるように前進していこうではありませんか。

 株式会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

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夢と希望にチャレンジする努力の一年に!

代表取締役社長 高橋一成

 令和5年 明けましておめでとうございます。

ここ数年、挨拶の冒頭には新型コロナウィルスのことを話題にあげなければならないということは本当に不本意なことです。コロナウィルスという難敵との戦いは今年も続いていくことになると思いますが、私たちはその経験を重ねる毎に、更に賢く、更に逞しく、更に仲良く成長していけると信じています。そうした先に、今年はコロナ克服の兆しが見える希望の年になることを心より期待しています。

ウィングとケアサポートみやぎは、昨年8月に有限会社から株式会社へと組織を変更し新たなスタートを切りました。平成25年に開設した『うさぎ座』は今年の6月には10周年を迎えることになります。また『あすと浪漫座』は、昨年の5周年行事を無事に終えて、いよいよ次の10周年に向けて新たな前進を開始してまいります。

2023年、干支では「癸卯」(みずのと・う)。これまでの努力  
が花開き、実り始める年と言われます。更に「うさぎ年」の”うさぎ”は、わが社にとって特別な思いのあるキーワードでもあります。ケアサポートみやぎの創業者である先代の宮城なみ子所長の生まれ年であり、私たちはその創業の心と功績を忘れないように多くの事業所の名前に”うさぎ”の名をつけてきました。そうした意味からも、今年はそれぞれの事業所が「うさぎ」の名の通り大きく飛躍していきたいと決意しています。
今年の大きなスポーツイベントでは、3月のWBC(世界野球)と9月のラグビーワールドカップ(フランス大会)がありますが、何といっても楽しみなのは、4月には民間ベンチャー企業が打ち上げた月着陸船が月への着陸に挑むことになっていることです。夢に挑む姿には本当に心が打たれます。

さあ、私たちも「真心をもって」の創業の心を忘れず、常に夢と希望を持って、共々にチャレンジしてまいりましょう。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

令和5年 元旦
株式会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

厳しい冬を乗り越えて、華やかな春の芽吹きを感じられる一年に!

代表取締役社長 高橋一成

 令和4年 明けましておめでとうございます。

 2020年2月から突然私たちの前に現れた、新型コロナウィルスという未知の難敵との戦いは早や2年になろうとしています。なかなか敵の正体がつかめず、戦う術(すべ)さえも見いだせなかった私たちは、ただただ恐れながら身を潜めて過ごすしかありませんでした。ましてや持病をかかえ体力も低下している高齢者にとっては、コロナの感染から我が身を守り、健康を維持していくことは至難だったと思います。

 私たちは、そうした高齢の方々を支える仕事をさせていただいている立場から、少しずつマスコミや行政等から報道されるコロナ情報をキャッチしながら、その時その時に出来る最善の対応に取り組んできました。この2年間に感染の大きな波は5回もありました。幸いにして私たちがお世話させていただいている利用者様やスタッフの誰一人として感染することなく今日まで過ごしてこれたことは本当に奇跡的だと感じています。しかしながら、一時沈静化したかに見えた感染状況も、オミクロン株という新たなコロナ変異株の出現によって世界的な感染爆発の影響を受けて国内第6波の危険性が現実味を帯びてきました。

 この戦いは一体いつまで続くのか、人類は完全にコロナウィルスを克服することができるのか不安は尽きませんが、この2年間の試練を通じて私たちは少しずつ感染症に対する知識を深めることが出来たし、逆境に対して逞しくなっている事にも気づきました。課題が大きければ大きい程、団結して知恵をしぼれば解決への道は拓けてくることも知ることができました。

 2022年、干支では「壬寅」(みずのえ・とら)。陽気を孕(はら)み、春の胎動を助く年。言い換えれば、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれる年になると言われています。さらにその春の胎動が大きく花開くためには十分な自己研鑽が必要であることも教えています。

 60年周期で繰り返す地の暦である干支と、28年周期の天の暦の最小公倍数の420年周期で歴史は巡ると言われていますが、2022年の420年前は1602年です。この時期は、ちょうど関ケ原から大阪夏の陣までの暗躍期であり、豊臣から徳川時代へと移行するための数々の布石が打たれた胎動の1年でした。徳川家康にとっては、翌年には天皇家から征夷大将軍に任じられ、その後260年以上も続く安定した時代へと向かう、まさに夜明け前の年だったのです。しかも家康は60歳を過ぎて尚、西洋数学という未知の学問を学ぼうとしていたというから驚きです。

 私たちもコロナ時代の鍛錬を活かして、更に更に自らを磨きながら、華やかな春の芽吹きが感じられる一年にしてまいりたいと思います。皆様のご健康を心より祈っております。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

令和4年 元旦
 有限会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

コロナに打ち勝ち、新しい時代を拓く 

代表取締役社長 高橋一成

令和3年、明けましておめでとうございます。

昨年の2020年はコロナに明け暮れた忍耐の一年でもありました。幸いにも”あすと浪漫座”をはじめとするウィングの全ての利用者様やスタッフが感染することなく過ごせたのは本当に良かったと思っています。

昨年の年頭には、待ちに待った東京オリンピックの開催を見据えて「勝負の年」にしたいと決意を表明しましたが、2月のクルーズ船のコロナ感染報道からあれよあれよとコロナが全国に蔓延し、毎日毎日手探りで感染予防に奔走してまいりました。まさに別の意味での”勝負”の一年でした。年が明けても尚、コロナとの勝負は続いています。

これまで経験したことのないような緊張の日々が続いていますが、苦労が多かった分、たくさんの事を学び、たくさんの工夫やアイデアも生まれました。改めて”知恵は無限だ”という事を実感した年でもありました。

「艱難汝を玉にす」ということわざがあります。困難や苦労を乗り越えることで、人は立派に成長するという意味です。東日本大震災の教訓も、今回のコロナとの戦いも苦労をした分間違いなく私たちはひと回りもふた回りも大きく成長したのだと確信しています。

2021年、干支では辛丑(かのとうし)。痛みを乗り越えて、新しい時代が芽吹く前進の年。再び皆様と力を合わせて必ずやコロナに打ち勝って、笑顔の一年をつかみとろうではありませんか。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

令和3年 元旦
 有限会社ウィング

代表取締役 高橋一成

2020年は「勝負の年に」

代表取締役社長 高橋一成

2020年・令和2年の幕明け、おめでとうございます。

私たちにとっては、待ちに待った2020年がやってきたという思いである。

いうまでもなく今年は東京オリンピク開催の年である。7年前に決定された東京でのオリンピック開催は私たちに予想以上のエネルギーを与えた。

昭和39年に開会した東京オリンピックの熱狂と興奮は、50年以上経っても心にしっかり刻まれている。重量挙げの三宅義信の金メダル、陸上男子100Mのヘイズの逞しい肉体美、女子体操のチャスラフスカの美しい演技。そして圧巻だったのは東洋の魔女と恐れられた女子バレーボールチームが、回転レシーブを駆使して強敵ソ連を破り金メダルをとった瞬間だった。

あの感動をまた味わうことができる。日本中が一つになってアスリートの雄姿を応援し酔いしれる。昨年のラグビーワールドカップの感動をはるかに上回る盛り上がりになるに違いない。

私たちは7年前から今年のこの一大イベントを楽しむために標語を作って一日一日を積み重ねてきた。「2020年東京オリンピック開催!あと7年は生きたい!」から始まって年が明けるたびに「あと6年は」「あと5年は」とカウントダウンをしてきて、とうとう2020年が開幕した。

7年前90才だった高齢者もリハビリトレーニングに励みながら、元気に97才を迎えている。目標に向かって生きることは人のエネルギーを倍化するということを改めて学んだ。

東京オリンピックでの活躍を目指して血のにじむような鍛錬と努力を重ねてきた選手たちにとって、まさに人生最大の勝負の年になるであろう。全力の戦いの結果にうれし涙を流す選手もあれば、悔しさに身を震わせる選手もいるだろう。ある意味結果は冷酷で峻厳でもある。それでも自分と戦って勝負したことは何よりも誇らしい。今年はそんなアスリートに習って、自分と戦う「勝負の年」にしよう。

今年はウィングが創業20周年、ケアサポートみやぎが55周年。デイリゾートスカイウィングの15周年、あすと浪漫座3周年と幾つもの佳節が重なる。

”わたしの町の安心の介護拠点””介護サービスを通して感動をお届けする会社”の原点にもう一度立ち返り、勝ち負けのハッキリわかる明確な勝負を挑む年にしようと決意している。お互いに年末には「自分との勝負に勝った!」と胸を張って言える一年にしていきましょう。本年もどうぞよろしくお願いいたします。       

2020年(令和2年)元旦
有限会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

「ウィングは、感動を届ける会社です!」

代表取締役社長 高橋一成

平成最後の年となる平成31年の新年おめでとうございます。

いよいよ本年5月からは、新たな元号とともに次の時代が始まってまいります。

介護保険制度の名のもとに公的介護サービス事業がスタートしたのが平成12年。もう今年で19年になります。この間、世の中の高齢者比率や環境は、想定をはるかに超えたスピードで変化し、それらに対応するために介護保険制度自体も大きく様変わりしてきました。

制度の発足当時には大小の多くの事業者が参入しましたが、制度の度重なる改正とともに徐々に姿を消し、今や大手の事業所のみが何とか変化の時代に生き延びている感があります。
そうした中にあって、わがウィングは小さい地元企業でありながら信頼の輪を広げ、着実に歩んでくることができました。人材不足と言われている介護業界の中では奇跡とも思えることです。素晴らしきスタッフに支えられていることに心から感謝しています。

今年の干支は「亥」年、詳しくは「己亥(つちのと い)」年。植物の生命の力が種子の中に閉じ込められている状態であり、繁栄したものを統制するという意味がこめられた年です。つまりは”次の新しいステージへの準備期間”とも言える一年になります。

その意味から、私は、もう一度ウィングの企業理念を全社員・スタッフがしっかり共有し、心に刻んでいく一年にしたいと思っています。

わが社の理念を言葉に表すとすればこうなります。「ウィングは、介護サービスを通して、お客様に感動を届ける会社です。」
決められたサービスを、きちんと実行することは大事な基本原則ですが、それだけではお客様に感動は生まれません。お客様やそのご家族のこれまでの経験からくる想像や思い込みを超えたサービスや言動に触れた時に感動が生まれ、他の会社のサービスとは一味も二味も違ったウィングの世界がお客様の心に刻まれていきます。

ウィングがお客様に愛され、この世の中に必要な会社として生き延びていく「鍵」はここにあると思います。この一年、お客様に感動を与えられるよう、さらに一層精進してまいります!

有限会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

「お客様のために、守り固める一年に!」

代表取締役社長 高橋一成

平成30年、明けましておめでとうございます。
平成の時代になってもう30年を数えることになったことに年月の流れの早さを痛感させられています。

昨年は、言うまでもなく5月に開業した“あすと浪漫座”に明け暮れた一年でした。ウィングとケアサポートみやぎが初めて挑戦した居住型施設の運営に毎日毎日試行錯誤と工夫と改良と努力の連続でしたが、たくさんのスタッフの協力と団結で、全国に類のないあこがれのサ高住の流れをつくることができました。

今年は戌年、事業経営の立場から言えば、昨年の酉年に勢いよく開拓した事業を守り固める年ということになります。スタッフ一人一人が自身の力量を磨き貯え、いつもお客様を心から大切に思っていく私どもの足場をしっかり固めていきたいと思います。

心身の衰えや介護の負担に悩み、ご苦労している高齢者やご家族の気持ちに寄り添い、どこまでも一生懸命サポートしていく、温かい会社のスタッフとして、今年もともどもに頑張っていきましょう!

有限会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

「運気もお客様も酉(とり)込んで、共々に飛躍の年に!!」

代表取締役社長 高橋一成

平成29年の新年おめでとうございます。
酉年の本年は、ウィングとケアサポートみやぎにとって大きく飛躍する一年になると思っています。

現在順調に建設工事が進んでいるサ高住の「あすと浪漫座」が春には完成して、いよいよ5月頃から入居が始まります。
「わたしの町の介護拠点」というキャッチフレーズを掲げて、地域の方に信頼されるケアステーションへの道を歩んできた私たちの集大成ともいえる介護拠点が誕生いたします。

酉年は、“果実が極限まで熟した状態”とか“商売繁盛に繋がる年”と言われています。素晴らしいスタッフと共に長い間積み上げてきた真心からのおもてなしのサービスが完熟し、さらに運気もお客様も酉(とり)込んでいく飛躍の年の開幕です。
本年もよろしくお願いいたします。

有限会社ウィング&ケアサポートみやぎ

代表取締役 高橋一成

「有意義な人生には「テーマ」が必要!」

代表取締役社長 高橋一成

2016年・平成28年の幕明け、おめでとうございます。
毎年毎年、年末からお正月を過ごして感じることは、時の過ぎ行くスピードの速さである。確実に1年365日を歩んできた。 しかしその日数は決して多くは感じられない。還暦を過ぎてみると、わが人生の残りの日数計算をするようになってしまう。

自分の一生をかけて大きな事業を成し遂げたいとかいう大それた考えを持っているわけではない。「よく頑張ってきたな」「楽しい人生だったな」と振り返ることのできる充実感ある人生でありたいと願っている。

忙しい日々を重ねるだけでは希望する充実感は得られないだろうと思う。 有意義な人生には「テーマ」が必要である。人生のテーマを見つけると、 「迷いがなくなる!」「自分の時間の使い方が変わってくる!」「困難にぶつかった時でも、好きなことをやっていると思える!」「モチベーションが下がるようなことがなくなってくる!」 「自らも楽しみ、人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい!」事業経営の神様、パナソニックの創業者である松下幸之助氏の言葉である。ウィングとケアサポートみやぎのテーマの一つである「共に楽しく!」に通じる大好きな言葉である。

平成28年申年。申年は、実が熟して固まる、これまで努力してきたことが結果として現れる年といわれる。みんなが「楽しかったね!」と言える一年となるよう一日一日一生懸命取り組んでいきたいと思う。

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

「2015年未年・「源遠長流」次の10年目指して進化の一年に!」

代表取締役社長 高橋一成

2015年・平成27年の幕明け、おめでとうございます。昨年の11月に、ケアサポートみやぎ創立50周年並びにウィング仙台ビルのオープン10周年の祝賀会を行いました。有限会社ケアサポートみやぎの前身である宮城家政婦紹介所が昭和39年に設立され、以来50年にわたり入院患者さんのお世話や在宅での介護・家事援助に取り組んできました。創始者である先代の所長の口癖は「まごころで仕事をしていく」でした。

人が人のお世話をする仕事に携わる、人を思いやる「真心」なくしては、いいお世話はできない。この精神を忘れずに頑張ってきたからこそ50年という長きにわたって「ありがとう!」と感謝される事業を続けてくることができたのだと思う。

故事に「源遠長流」という言葉がある。時に中国3000年の歴史を語る時に用いられたりするが、最初の志がしっかりしていれば、いつまでも栄えていくことができる、という事だと思う。

時代はどんどん変化していく。2015年は、団塊の世代と言われる人たちが全員65歳(介護保険証が送られてくる年齢)に到達する年でもある。ここから10年、本格的な超高齢化社会に突入する。介護や医療の制度も大きく変わる。だからこそ、ウィングとケアサポートみやぎは、原点である「真心」を忘れずに進んでいきたい。

また、今年は「未(ひつじ)年」。木の実がまだ完全に熟していない様子を表すとされる。言うなれば「発展途上」という事か。そうだ、今年はいろいろな意味で「進化」する年にしていこうと決意している。

社員・スタッフの皆様、年齢にかかわらずそれぞれが進化・成長する一年になりますよう、ともに励まし合いながら進んでいこう!

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

「2014年午年・目標に向かって駆け抜ける一年に!」

代表取締役社長 高橋一成

2014年・平成26年の開幕おめでとうございます。 昨年、一番話題となったニュースは、2020年の東京オリンピック招致決定ではなかっただろうか?早速ウィングのデイサービスでは、「2020年東京五輪が決定!あと7年は生きたい!」というスローガンを掲げ、それぞれのデイフロアの正面に横断幕を飾った。

その瞬間に、多くの利用者様が反応した。「そうだね、絶対見たいよね」「7年も頑張れるかなぁ?」「わかった!頑張ります!」それぞれが本当に7年後を目標に頑張っていこうという顔になった。その時に、目標をつくることは大事なことだと改めて感じた。 今年は午年。わが「ウィング」にとっても「ケアサポートみやぎ」とっても節目の年である。とりわけ「ケアサポートみやぎ」は創業50周年を迎える。素晴らしい家政婦さんたちに支えられてここまできた。

そして、「デイリゾートスカイウィング長町」を開設して10周年となる。スタッフに恵まれて評判のデイサービスが出来上がった。感謝感謝である。

できることであればサラブレッドのように颯爽と駆け抜ける1年にしたい。 そのためにも、スタッフの一人一人が具体的な目標を持って進んでいけば、必ず年末には大きな成長を実感するに違いない。

一年の計は元旦にあり。年頭はチャンスである。昨年までの後悔や課題、やり残した宿題などもすべて白紙に戻し、リセットして新たな目標と決意で出発することができる絶好のタイミングが年頭であり1月である。

僕も今年の1月で還暦を迎える。生まれ変わった気持ちで、新しい第2の人生のスタートを切りたいと決意している。

今年もよろしくお願いいたします。皆様のご健康と幸せを祈っています。

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

「うさぎ座」誕生物語

代表取締役社長 高橋一成

2013年6月、仙台〜名取を一望する県内随一の夜景スポットといわれる名取市那智が丘(なちがおか)の高台の最上段に、星のギャラリー「うさぎ座」というデイサービスがオープンした。
5月11日〜13日の3日間にわたり、オープンに先立って行った内覧会には地元の那智が丘団地の方々をはじめ地域の皆様に多数足を運んでいただき、450名以上のお客様でにぎわった。介護施設の内覧会ではあまり企画しない”内覧会&ライブ”形式で開催したのも反響が大きかった要因の一つだったかもしれない。
絶好のロケーションに立つ今回のデイサービスを建てることに際して、いろいろなことにこだわった。まず、名前は「うさぎ座」。これは建てる前から決めていた。現在の有限会社ウィングという会社があるのも、先代の家政婦紹介所の所長である宮城なみ子のおかげである。その功績に対する感謝の気持を永遠に忘れないために、所長のうまれ年である”うさぎ”の名をつけたかった。
そして星降る丘を空からいつも見守ってくれる星座のようにと星のギャラリー「うさぎ座」の名前が出来上がった。そして宮城所長が大好きだった「桜の木」を庭に植えることも早くから決めていた。
さて計画を進めるにあたって、どんな雰囲気の建物を作ったらいいのだろうかと思案に思案を重ねた。思い当たったポイントの一つは、高齢の方を心から尊敬しています、という思いが感じられる建物であり、二つ目は、音楽の舘である。
年をとり、介護サービスを利用するようになると華々しく活躍した若い時代の姿や雰囲気とはだいぶ異なり、生活のさまざまな部分で他人の手助けが必要となる。本人は心の中で「情けない」と思っているのかもしれない。しかし、世のため人のため、家族のために頑張り続けてきたその半生の功績は、現在の外見上の姿がどのようであっても決して忘れられてはいけないものなのである。
頑張って年を重ねて生き続けてきたことだけで尊敬されるに十分である。その気持ちを建物の外観、内装、調度品に込めて作ろうと思った。「こんな素敵な所に来ていいの?」と言って欲しいのである。
価値ある人生を歩んでこられた方には、何百年も歴史を刻んできたアンティーク家具がふさわしい。だから「うさぎ座」にはアンティークの小物や家具があちこちに配置されている。癒されていただきたい!

 そしてもう一つ、「うさぎ座」の大事な要素が「音楽」である。2年前の東日本大震災は、さすがに千年に一度の大災害と言われたほど、われわれに与えたダメージは大きかった。大きな揺れと大津波は、何もかも壊し奪っていった。
それ以上に被災地の人々の、”頑張ろう”という心を打ち砕いてしまった。
そんな時、少しでもみんなに元気を与えることができれば、というちょっとした気持ではじめた僕らの小さなコンサートライブ「頑張ろう宮城応援コンサート」がことのほか大きな反響を呼んでいったことに驚き、”音楽”の力の大きさを心から実感した。長町の本社ビルで毎月のように開催してきた「応援コンサート」は間違いなく地域の皆様に元気を発信してきた。
翻って那智が丘団地を見てみれば、20年前の開発当初は若い世代のご家族が続々入居してきて、あちこちから幼稚園の送迎バスが団地内を走り回っていた勢いのある振興団地だった。僕達家族も子ども達と義母(宮城所長)と共にこの団地で暮らした。お世話になった団地を15年前に出て、久しぶりに戻ってきて感じた団地の姿は、老人施設の送迎バスが行きかう高齢団地になっていた。「買物に行くのも病院に通うのも大変、家から出ることが少なくなって、楽しいことも減ってしまった」と語る言葉に、心が動いた。
お世話になった団地に恩返しをしよう!音楽ライブを中心に、地域の皆さんが喜んで集まってくるようなイベントをたくさんやろう!そんな気持がふつふつと湧いてきて、いつしかライブハウス的なデイサービスの建設が始まっていたのである。

 とは言え、小さな小さな試みです。「うさぎ座」の思いがどこまで広がっていくのか予測もつかない。しかし、お客様と働くスタッフをどこまでも大切にして信頼の世界を広げてきた先代の宮城所長が、天空の星「うさぎ座」となって見守ってくれている限り、星のギャラリー「うさぎ座」は光り輝いていくことを信じて頑張りたい。

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

「那智が丘3丁目町内清掃2013.07.21」

6月に那智が丘にうさぎ座をオープンし、2ヶ月がたとうとしています。 今回、町内会の清掃活動に初めて参加させていただきました。
あらためて近隣住民の方々とお顔を合わせ、少しばかりの緊張の中、スタートしました。
「それぞれのご自宅周辺をきれいにすると、町内全体がきれいになります!」ということでうさぎ座周辺と第2駐車場の清掃・草取りを行いました。
夏に向かって勢いよく伸びている雑草を、使い慣れない草刈鎌を使い、小一時間、汗を流しながらきれいにしました。
那智が丘の高台には、時折心地よい風が吹き、朝のすがすがしさを感じながらの清掃活動となりました。

町内清掃   町内清掃

 

「平成25年度第1回長町6丁目町内清掃」

今年も始まりました、町内清掃。たくさんのスタッフが集まり、長町駅前を中心に、ご町内の方々とゴミ拾い、雑草取りを行いました。
きれいにすることで、長町を通るたくさんの方々が気持ちよく通勤・通学・買い物をされることを願って今年も頑張ります!

町内清掃   町内清掃

朝早い時間にもかかわらず、一心不乱に掃除に励むスタッフ!

 

終了後、初夏の朝の日差しが気持ちよく感じられるぐらいの充実感です。

「平成24年度の町内清掃」

町内清掃   町内清掃

平成24年度の第1回町内清掃。ウィングはいつも長町駅前の清掃担当。雑草もきれいになりました。

 

早朝6時30分〜の清掃行事にもかかわらず元気に集まってくれたスタッフ。各回ごとにチームを編成して楽しく作業しています。

町内清掃   町内清掃

平成24年度の第2回目の町内清掃担当は、デイサービスチームで行いました。炎天下にもかかわらず元気に頑張りました。

 

またたくまに雑草が生い茂ってしまった長町駅前通りの歩道。みんなでワイワイ作業すれば、あっという間にきれいな街に。

町内清掃

平成24年度最後の町内清掃。
11月中旬の寒い中、歩道の落ち葉清掃に精を出しました。
きれいになった歩道、街並みにスタッフの顔も笑顔になります。

25年度も、町内の皆様と一緒に、「町内行事を!地域を!」盛り上げるお手伝いができるよう頑張ります!

スタッフの成長を喜べる会社になる!(2013.1.10)

代表取締役社長 高橋一成

年が明けて2013年が始まり、平成25年という年がおそらくすごいスピードで進んでいくことだろうと思う。昭和から平成に代わり、当時の小渕官房長官がテレビで「平成」と書かれた文字を掲げていた、あの日からもう四半世紀・25年が経ったのかと思うと、月並みの言葉であるが、月日の流れの何と早いことかと驚くばかりである。

今年は巳年。その生涯において何度も脱皮しながら成長していくヘビにあやかって、今年はわが社も、そして自分自身も大きく脱皮しようと決意している。皮を脱ぐのだから、これまでの固定観念や限界だと決めつけていた殻さえも打ち破っていかなければいけない。 冒険したくない年代になってしまった自分を、還暦前に生まれ変わらせなければいけないと深く決意している。

それにつけても、わがウィングのスタッフは素晴らしい。昨年末に行ったデイサービスの「クリスマス会」では、恒例になっているパフォーマンスを披露してくれた。2ヶ月前から企画を考え、業務の終了後に集まっては練習を重ね、どうしたら利用者様に喜んでもらえるかという一点だけに徹底して挑んでいた。みんな自発的に取り組んでくれる。演技するメンバーもサポートするメンバーも一丸となって、誰一人として嫌や嫌や携わっている人がいない。演技のクォリティーも凄いが、笑顔・団結・おもてなしの心・きびきびとした運営などすべてが素晴らしいと思った。昨年1年間、実にさまざまなイベントや企画に取り組んできた。そうした一つ一つの取り組みを積み重ねることによって、確実に成長しているスタッフの姿がうれしい。

人材を育てる会社、スタッフの成長を心から喜べる会社、そんな会社になれるよう今年は大きく脱皮したいと思う。

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

=地域の皆様と共に!それがウィングのスタンス=(2012.6.6)

多くの人命や家屋、建物そして仕事さえも奪い去ってしまった、あの忌まわしき東日本大震災は、私たちの人生観も大きく変えてしまった。

日頃から各地で発生している災害のニュースを見ながら被害に遭われた方々のご苦労に心を痛めることはあるが、自分が実際に大災害に巻き込まれることは実感してはいなかった。いつもどこか他人事だった。宮城県沖地震の危険はしばしば報じられていたのに、全く自分勝手な楽観主義は変わらなかった。
しかし、3.11の大震災を経験し、その後も一年以上にわたり数限りなく大きな余震を体験させられたので、今では「常日頃からの備え」がいかに大切なのかを深く心に刻むことになった。

それと同時に今回の震災では、人と人とのつながりや支え合いが大きな力を発揮した。「絆」という言葉で表された心のネットワークは救済・復興の原動力となった。「わたしの町の介護拠点」を目指して太白区長町に拠点を構えた我が社ウィングは、町内地域の皆様に安心を与える会社になろうと日々努力してきた。東日本大震災発生直後にはご自宅で生活することが困難な地域の高齢者様の一時的な避難所として、また安否確認や生活支援の拠点として不眠不休で取り組んだ。そうした活動ができたのも日頃からの努力の積み重ねがあったからだった。

町内清掃や町内運動会などの町内行事には社員スタッフが家族ぐるみで積極的に参加していただき、いまでは「ウィングのスタッフなしでは町内行事が成り立たないね」と言われるほど期待されていて嬉しい限りである。毎月のように開催している「ライブイベント」も地域の皆様が気軽にウィングに立ち寄っていただけるようにと、毎回ご町内の皆様にご案内させていただき、楽しみにしていただいている。

小さな小さな会社なので広い地域の皆様のお力になれるほどの力量はないが、少なくとも会社の建物を構えさせていただいている地元ご町内の皆様のお役に立てることができれば何よりである、との思いで「地域の絆づくり」に更に更に努力をしてまいりたい。

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

貴重な経験を生かし、昇龍の年に! (2012.1.17)

2011年の年末には一年を振り返る特集番組があちこちのテレビ局で放映されていた。ほとんどは東日本大震災の惨状とその後の姿をさまざまな角度から取材した構成になっていた。
いまなおご苦労されている人は多く、復興が急がれるが、その道は険しい。「復興」を「福光」と読み替えて希望の前進をしようとしている人もいる。わたしたちもできる限りの応援を続けていきたいと思っている。
今年は辰年。龍が勢いよく天に駆け昇っていく姿にあやかって、今年を上昇の年にしたいと願っている人は多い。それにつけても、「龍」と聞けば、昨年の11月に来日したブータンのワンチュク国王の言葉が思い起こされる。「私は龍を見たことがあります・・・龍はみんなの心の中にいます・・・龍は経験を食べて大きくなります・・・自分の中の龍を大きく育ててください」 と。平易な言葉だが含蓄のある話だった。
東日本大震災は、二度と経験したくない忌まわしい出来事だったが、貴重な経験をしたことは間違いない。その経験を土台に今年は更なる飛躍の年にしたい。

震災後に始まった「がんばろう宮城!応援コンサート」の輪がだんだん大きくなってきた。昨年のフォーク、演歌、シャンソンのコンサートに続いて、今年は更に多くのミュージシャンの方々のご好意で音楽ジャンルの幅も広がり、ロック、フラメンコ、創作太鼓、アコースティックライブ等々、デイサービスの中で毎月のようにライブイベントが計画されている。地域の皆さんも、あすと長町仮設住宅の皆さんも毎回楽しみにしてくださっている。
これも震災を乗り越えて繋がった人と人との絆だと思う。震災により形ある物の多くは壊されガレキとなったが、心と心の世界は無限に広がっていく。その多くの経験と財産を糧に本年を昇龍の年にしていきたい。

有限会社 ウィング

代表取締役 高橋一成

人の真心のネットワークが生み出すもの (2011.11.28)

震災・津波・原発事故の被害により将来に希望が見いだせない等、不安を数えあげたらキリがないほどたくさんある。東日本大震災がもたらした影響は計り知れないほど大きく、その克服への道は険しく長い時間が必要だ
3.11以降、被災地の方々を多く芸能人やタレントさん達が励ましや応援のために訪れてくれた。たくさんのアーティスト達も応援ライブを開催してくれた。改めて音楽の持つ力、歌の持つエネルギーに感動している。涙されながら聞いている参加者の姿を見るたびに、元気の力をもらって頑張っていくんだろうなと心の中で励ましを送っている。

そんな思いがあって、わが社ウィングでも「がんばろう宮城!応援コンサート」と題しての小さなライブを行なってきた。第1回目は「懐かしのフォークソング」を中心にしたアコースティックライブ。そして第2回目は「演歌の花道」というタイトルで北島三郎や鳥羽一郎、都はるみ等の演歌の名曲を圧倒的な歌唱力のあるゲストの方たちにたっぷりと歌い上げてもらった。

今回、その「がんばろう宮城!応援コンサート第3弾」が実現した。東京在住の有名なシャンソン歌手である白木ゆう子さんという方にシャンソンのライブをしていただくことになった。白木さんは2012年3月11日に、東日本大震災復興応援チャリティーショーを東京で開催する予定をされていて、その前にどうしても被災地に直接うかがって力になれたら・・・と思い、いろいろな方々のつながりの果てにわが社でコンサートをしていただけることになった。
早速インターネットで白木ゆう子さんのHPを拝見したり、You Tubeで歌声を聴いたりして鳥肌が立った。本当に上手いし、経歴も輝かしい。こんな素晴らしい方に来ていただけるだけでも夢のようだった。

全国を巡って活躍されている白木さんと電話やFAXなどで何回も打ち合わせをしているうちに、善意のいろいろな方々とのつながりが出来てきた。東京で家政婦紹介所を経営されている渋谷さん、弘前の中野さん、亘理町の牧師さんの林さん、そして急遽キーボードを貸していただいた泉区の医師の佐藤さん等大勢の方々が懸命に支えてくれた。

横断幕の作成に力がこもる。

これまで”シャンソン”という音楽ジャンルに縁が遠かったわが社のスタッフも、俄然力が入り、最高のライブにしようと力を合わせた。設営・音響の準備、チラシの作成、運営に心がひとつになった。

わが社の線路向かいに、大震災の被災者のためにつくられた「あすと長町応急仮設住宅」がある。震災で家を失った約230世帯の方々が生活されている。今回は、その方々にもライブのご案内をしよう!と皆さんにチラシを配布しご案内した。ほんのひとときでもでもいい、楽しかったと言っていただければ・・・。

ライブ当日、2つのデイサービスの利用者様約50名に加えて、地元町内の皆様や東京や各地から応援に駆けつけてくださったお客様、そして仮設住宅の皆様10数名がぞくぞくと集まってこられ、スタッフとあわせて90名を超えるお客様で会場が熱気に包まれた。

 

白いピアノを弾きながら、シャンソンの名曲の数々をたくさん披露していただきました。

 

映画「タイタニック」のテーマを歌う白木さん。あの名シーンが脳裏に浮かびました。

真っ赤なステージ衣装を身につけた白木さんが登場し、「再会」「明日は月の上で」「百万本のバラ」「愛の讃歌」とシャンソンの名曲を次々と歌ってくたさった。まるで夢のような時間がゆったりと過ぎていく。映画「タイタニック」のテーマ曲である「My Heart Will Go On」を歌った時は、両手を横に広げたあの映画のシーンを再現しながらの熱唱に場内から大拍手。
最後に「見上げてごらん 夜の星を」をみんなで歌った。親族を奪われ、家を失い、職場を無くした人たちがみんな涙を流しながら歌っていた。
80才を超える私の実家・神奈川に住んでいる親戚のおばあちゃんが何ヶ月もかけて編んでくれた手編みのベスト10着が丁度届いたばかりだったので、仮設住宅の皆さんにプレゼントすることができた。
「本当に楽しかった」「こんなコンサートに参加したのは生まれてはじめてでした」「元気がでました、また頑張ります」と感想を言いながら帰られる参加者をお見送りしながら、こちらの胸が熱くなった。

いろいろな人たちの真心と真心で作り上げられた素晴らしい世界でした。人の心の温かさ、そしてその温かい心は無限に広がって多くの人の力となっていくということを改めて実感した。これからも、できる限りの応援をしていきたい。白木ゆう子さんはじめ、ご協力いただいた皆様に心より感謝いたします。

今再び「わたしの町の介護拠点」目指して (2011.9.22)

世界の歴史の上でも過去最大規模のマグニチュードであったと言われる3.11東日本大震災から半年以上が経過した。1000年に一度の大震災となっているので、この先1000年は安心です、というメッセージを自信をもって発表していただけたらどれほど心強いかわからない。それなのにいまだに余震がおさまらない。宮城県沖、福島県沖、岩手県沖と毎日のように地震情報がテレビのテロップで流れる。聞くところによれば、余震は少なくても1年、長くて20〜30年後まで続く可能性があるという。予測の研究も進んでいるのだろうが、あれだけの大地震さえ事前予測がほとんどできなかったのだから、今後の地震予測に期待するのは無理がある。今後は、大きな地震を”想定内”とした日頃の準備と対策に加えて災害への緊張感を維持していくことに努めていきたい。

最近地域の各地で「大震災を振り返って」というようなタイトルで、地域の関係介護・医療事業所や町内会組織、行政機関等の関係者が集まっての意見交換会が盛んに開催されている。それぞれの立場で大変にご苦労されながらあの困難を乗り越えてこられた様子がよくわかる。困惑と混乱の中、それぞれが自発的な責任感と共助の精神を発揮し危機を乗り越えていった行動に敬服している。

私たちもウィングとケアサポートみやぎをご利用されている方々の安否の確認とお世話に全力をあげた。前にも記述した通り、その時に自らの困難を顧みず献身的に救援に走り抜いてくださったスタッフ皆様の事は一生忘れることはできない。その時はただただ夢中で、利用者を守るという一点で毎日毎日を過ごしていたので、町内全体のことはわからなかったが、ある意見交換会の席で「ウィングさんが町内の一人暮らしの高齢者や高齢世帯の方を何人かお世話してくれていたので安心でした」というお声が町内役員の方々から出た時には、少しずつ地元地域のお役に立っているということがわかって嬉しかった。

「わたしの町の介護拠点。有限会社ウィング」として長町地域に移転してから7年。運動会や町内清掃、町内イベント等、地域の皆様との交流を重ねて少しずつ安心のネットワークが広がってきていることに自信をもって、もっともっと地域に愛される事業所として頑張っていきたいと決意している。

”在宅介護を支える” それこそがウィングの真骨頂! (2011.8.5)

先日、介護保険制度の発足時から当社の介護サービスを利用されてきた一人暮らしの男性が満1〇〇歳を迎えた。百寿と書いて、”ひゃくじゅ”とか”ももじゅ”とよぶ大変おめでたいお祝いであるが、超高齢化の日本においては、100歳を迎える高齢者はそう珍しいことではない。

しかしながら、在宅で、男性で、一人暮らしで、なおかつ元気にデイサービスに通っている、というように条件がいくつも重なるとなかなか該当する人を見つけることはむずかしい。

今回、その方がちょうどデイサービスご利用日に100歳の誕生日を迎えることになって、スタッフ一同が俄然色めきだった。「一生の思い出となるようなお祝い会をやろう!」「他の利用者様にも、こんなに盛大にお祝いしてくれるんだったら私も100歳まで頑張ろうかな、と思っていただけるような心のこもったイベントにしよう!」と。

スタッフが勤務時間終了後に、思い思いの準備を始めた。金色のちゃんちゃんこと金色の車いすで入場するのはどうだろう、金色のくす玉を作ろう!お祝いの民謡をしたらどうだろう、祝い太鼓を練習しよう、デイのスタッフ全員でお祝いメッセージを綴ったパフォーマンスをしたい!ご親族もご招待したらどうか、担当ケアマネージャーも一役買ってもらおう!

話はどんどん盛り上がっていった。

イベント当日、さんさしぐれの民謡とともに、厳かに金の烏帽子と金のちゃんちゃんこを身に付けた100歳のご本人が、まるでオリンピックの金メダリストの凱旋帰国パレードのように、両手を高々とあげ観客の大拍手に応えながら、満面の笑顔で入場。自らスタッフ手作りの金のくす玉を引き、車いすから立ち上がって歓声に応える姿に胸がつまった。

民謡・太鼓・デイスタッフのパフォーマンス・親族あいさつ・ケアマネあいさつと感動の場面が次々と展開され、最後は本人を囲んでスタッフ全員で記念撮影におさまった。

「私は100まであと何年かしら」「あなたも頑張れば大丈夫よ」と見ていた利用者様それぞれが感動の涙をたくさんためて、100歳を生きる目標にしていただいたように感じた。大成功だと思った。

近年、在宅介護に限界を感じて、介護保険施設や有料老人ホームなどに入所される利用者様も急増している。在宅環境は100人100様である。要介護度が高かったり、認知症症状が進行していたり、在宅介護を支えるご家族の苦労と悩みは痛いほどわかる。やむをえず在宅介護を断念しなければならない事情もよくわかる。

それでもウィングは、出来ることであれば住み慣れた我が家で、いつまでも元気に暮らしたいという高齢者の心の本当の叫びに寄り添って、在宅介護をサポートしていきたいと思う。介護保険制度発足のねらいの一つは、本来できるだけご本人の自立を支援して、地域で支える在宅重視だったはずである。現実には、その道は実に多くの労苦があり、時代はその当初の思惑とは離れて、施設介護へとシフトしていることも事実である。家族を含め、いろいろな方々との連携の果てにかろうじて支えられる在宅介護は、ある意味で芸術品とも言える。こんなところに真正面から挑戦する会社がなければ地域は支えられないと自負している。

今回の100歳イベントで、改めて在宅サービス事業所の意味を考えることができた。これからも更に精進し、力をつけて皆様のお役に立っていきたい。

==1000年に一度の大震災を経験して==
「改めてウィングのスタッフは本当に宝物でした」 (2011.5.23)

平成23年3月11日金曜日の午後2時46分。緊急地震速報の前触れもなく突然の激しい揺れが襲った。「これは大きい!」これまでにない大きな揺れがいつまでも続いた。2階の事務所のあちこちで物が落ち、パソコンが倒れ、レジスターがひっくり返り、キッチンから多数のお皿やガラスのコップがけたたましく落ちて割れる音が響く。揺れる体を支えながらすぐにモニターで3階のデイサービスの様子を見た。40人ほどの利用者様は全員椅子に座って落ち着いている。スタッフが懸命に利用者様に声がけをしながら安心させている姿が見えた。10分にも20分にも思えるような地震の長さだった。ようやく揺れが小さくなったので急いで3階と4階のデイサービスのフロアに駆けつけた。震えて青ざめている利用者様もいたが全員怪我もなく無事だったし、何よりも落ち着いていて「大丈夫!大丈夫!」と笑顔も見せてくれた。

エレベーターが止まり、電気が落ちた。何回か余震が続いた。

ラジオが流れた。大きな津波の発生が伝えられて、初めて尋常ではない巨大地震が起きたと認識した。

すぐに3Fデイフロアに全スタッフが集合し緊急対策本部が設置された。デイサービスの利用者様をはじめ居宅支援事業所のお客様や訪問介護事業所の利用者様の安否確認と安全確保のための手当を最優先に、考えられるあらゆる対応を次から次へと実行に移していった。自らの自宅も相当被災したにもかかわらず、すべてのスタッフが実に献身的に、懸命に頑張ってくれた。電気も電話と途絶えて会社との連絡もままならないヘルパースタッフは、自らの担当する利用者様のお世話に、毎日毎日早朝から夜中まで奔走してくれた。ガソリンがなかったので自転車を使ったり、何時間も歩いて訪問したり、本当に頭が下がった。震災からおよそ1ケ月は毎日無我夢中でどういう風に戦ってきたのかハッキリと思い出せない。

ともかく、これだけの大震災にもかかわらず利用者の一人としてケガをされた方もいなかった。独居の高齢者の方も見事に困難を乗り越えてくださった。すべてのスタッフの努力と団結のおかげである。二度と経験したくない大震災ではあるが、今回のことで改めて”ウィングのスタッフは宝物だった”ことを深く実感できたことは大きな収穫であった。

大きな犠牲を払って得た教訓を生かして、更に更に地域の皆様の安心の拠り所になる事業所づくりに全力を尽くしてまいりたいと強く決意している。